舞姫-遠い記憶が踊る影-
「背中の傷が回復した頃にその村にある噂が聞こえてきた。俺の耳にも、看病をしてくれていた人の口から聞こえたよ。『黒髪“赤眼”の若い鬼が、親兄弟を殺して、逃げだした』という噂を、戸惑いと疑念の感情と一緒にね。それを耳にして、違うよと言った俺の言葉を受け取りながらも消えなかった疑念の感情を見た俺は、感謝の言葉だけを伝えて、流れの旅を始めた。ここに居ては迷惑をかける、一つ所に留まれば、追手がやってくる、と」
二つのカップに注がれたコーヒーは、その量を大して減らすことなくすっかり温度を失っていた。
アタシは改めて、タキの真正面から真っ直ぐにその瞳を見つめた。
そしてその手を取って決意を固める。
白薔薇は赤薔薇を待ち続けるのだ、永遠に。
「タキ。生きていることが、苦しいかい?」
尋ねると、ピクリとその手が反応する。
無言のままのタキの、その反応が肯定を表していた。
「アタシはタキのお父さんやお兄さんじゃあないから、その本当の気持ちは一切分からないけれどね。なんとなく、わかることがあるんだ」
顔を上げたタキの瞳は、あの年初めの日に見た少年の瞳のようだ。
「お父さんも、お兄さんも。“生きろ”と、言った時に。タキが“生きる”という選択をしたときに、こうして苦しむということを、分かっていたんだろうと思う。けれどね、それでも。……それでも、やはりアンタに生きていてほしかったんだよ」
ぎゅっと、握った手に力を込める。
白薔薇は赤薔薇を想い、願い、祈る。
祈りは踊りになり、ここにある。
“君よどうか、生きていて。そして――……”