君のキスが狂わせるから

「そのままの相原さんがいいと思ってるのは確かですけど、実は……俺、入社前からあなたのこと知ってるんです」
「え……」

　入社前に彼と接点を持った記憶はない。
　これだけの容姿なら、言葉を交わしてなくても印象に残ってそうだが。

（少なくとも深瀬くんは私を知っていて、心には残る何かがあったんだ）

「一体いつの話？」

　その質問に、彼は気まずそうに首を振った。

「今はこれ以上は言えませんが、その時“素敵な人だな”と感じたのはすっと残っていて。だから惹かれた理由は深い部分でちゃんとあるんです」

「……その理由、いつか話してもらえる？」

　尋ねると、彼は頷きながら重ねていた手をぎゅっと握った。

「はい、いつか必ず話します。それまで、もう少し待ってくれますか」
「……うん、わかった。必ず教えてね」

　頷いた私を見ながら、深瀬くんは形のいいアーモンド型の凛とした目を細めた。
　信じ難いけど、ちゃんとした理由があって私に興味を持ってくれているみたいだ。

（その理由が聞けたら、私のこの恐れも薄らぐのかな）

　元カレをリリースした後だというのに、やはりまだ純粋に深瀬くんの好意を受け止められない自分に少しだけガッカリする。

　それでも握られた手の温もりは心地よく、私は昼休憩が終わる直前までそのまま彼の手に自分の手を預けていた。

＊＊＊

　深瀬くんとのランチを終えてオフィスに戻ると、どことなく三上さんの視線がこちらへ注がれている気がした。

（なんだろう？　気のせいかな）

　そう思おうとしたが、三上さんの方から私に声をかけてきた。

「愛原さんって、大人しいそぶりしてますけど、結構あざといんですね」
「えっ？　なんのこと」

　あまりの敵意剥き出しの口調に、周りの人たちもこちらを見ている。
　それでも三上さんは構わず続けた。

「知ってるんです。深瀬さんと最近なんかこそこそしてるの……お昼も外で一緒でしたよね」

　どうして知っているのかということより、どうしてそんなことを彼女に皆の前で言われなくちゃいけないんだろうか。
　私が深瀬くんと仲良くしてはいけない決まりなんかないはずだ。

「三上さんは、何が言いたいの」
「……ご自分の年齢を考えたらどうですか、ってことですよ」
「っ！」

　はっきりものを言う人だとは思っていたけれど、ここまであからさまだと何も答えられない。
　怒りの感情が湧くより、呆気にとられる方が先だった。
　すると不穏な空気を察して、課長が手を叩いた。

「ちょっと、仕事と関係ない話は後にして。今は就業中よ？」
「……はい、すみません」

　納得いかない表情をしたまま、三上さんは自分のデスクへと戻る。
　私は後になって押し寄せてきた苛立ちを消化できず、しばらく数字をパソコンに打ち込む指が震えていた。

（深瀬くんと関わったら周りからの嫉妬を買うのは想像してたけど。話をしてたっていうだけで、こうなっちゃうんだ）

　私が彼に相応しい人だったら許されたんだろうか。
　彼より年下で、容姿も文句なくて、女性にも反感を買わない子だったら……。
　実際そういう子が会社にいないわけでもない。
　だから余計に私は深瀬くんが私にアプローチする理由がわからないのだ。

（後で話してくれるって言ってたけど、今すぐにでも聴きたい気分になっちゃったな）

　それでも仕事を遅らせるわけにもいかず、私は気持ちを切り替える呼吸をしてから残りの仕事をスピードアップさせて終わらせた。