君のキスが狂わせるから
何歳になっても、精神年齢っていうのは簡単に上がったり下がったりはできないみたいだ。
ヨガをやってみても、身体は多少しなやかになるけど。
精神が柔軟になったかというと、そうでもなかったのがその証拠だ。
「こんな子どもな私で良ければ、これからも付き合ってくれる?」
「もちろんです。俺を将来のパートナーとして、受け入れてくれますか」
あくまでも結婚前提という固い決意の上で交際したいという申し出らしい。
不安はまだ消えてないけど、もうこの人の情熱を信じてみるしかないのかな。
「深瀬くんのご両親が反対されるとは思うけど。今の段階では、私はあなたと一緒に生きていきたいって思ってるよ」
(結婚は家同士のものだった時代もあった。でも、今は個人が重視される時代だ。そういう新しい風は資産家の中にも多少吹いているはずだ)
私の答えを聞いて、深瀬くんは嬉しそうに私の手を握って頷いた。
「うん、両親のことは俺がどうとでもする。大丈夫」
「そんな簡単なことじゃないよ、家の問題って」
そう言い返すと、彼は首を振って先日話した後継問題は解決したのだと言った。
「実は兄が外に女性を作ってね……その人が身篭ったらしいんだ」
「え…」
(まさか、美桜先輩のことかな。……違う人であって欲しい)
身篭ったという言葉に、どこかザワッとするものがあった。
そこまで彼女は狙っていたのだろうかと思うと、やはり嫌悪感は拭えない。
「それでお兄さんはどうするつもりなの?」
「長男の血を引いた子どもだからね、その女性と再婚するって言ってるよ」
「え……でも、お嫁さんは?」
「残念ながら、義姉さんはとはもう数週間前に離婚が成立してたらしい。知らなかったから正直驚いた」
(子どもだけが理由なら、残酷な話だな)
昔はそういうことがよくあったと聞くけど、今の時代もまだ「血」というものにそんなにも拘るのかと驚く。
歴史の闇が深い場所。そんなところへ、私は入る覚悟があるだろうか。
(ミホ先生が悩んだ理由がわかる。格式ある家に入るって、自由を奪われることなんだ)
「もし俺の家のことで悩んでるなら必要ないよ。美穂さんと同じことにはさせない」
「簡単に言わないで。もし結婚を考えるなら…付き合わないなんて無理でしょ」
「そうなったら俺は大倉の名前を捨てるよ」
あっさり言い切った深瀬くんに驚く。
それでも、彼の中でも家のことで悩んだ時間は長かったみたいだ。
「昔から次男の俺はどっか兄のスペアみたいな扱いでさ……個人的に祖父が亡くなってからは家にはまともに帰ってないよ」
「そうは言っても」
「親を捨てるつもりはないけど。俺がいることで兄と争うような事態だけは避けたいんだ。今回の後継問題でそれは嫌ってほど思い知った。瑠璃さんをあんなドロドロの中に巻き込むわけにいかない」
「……」
平民の私にとってはかなり重い事情を抱えている彼だと知っても、やっぱり深瀬くんを失うことは私にはできなさそうだった。
(深瀬くんがこう言ってくれていることには感謝しなくちゃね。でも私はそれを鵜呑みにして丸投げするわけにはいかない。もしゴタゴタに巻き込まれても受け止める覚悟が必要なんだ)
覚悟を決めた私は、深瀬くんの滑らかな頬に手を添えて自分からキスしていた。
形のいい唇に自分から触れるのは、震えるほど緊張した。
でもそんなことが出来た自分がなんだか少し前に進めたようで、嬉しかったのも事実だ。
「……瑠璃さん」
「私、深瀬くんが好き。見てるだけでいいと思うくらいあなたは素敵な人だったから、とても近しくなれると思わなかったけど」
「俺、そんな特別な人間じゃないよ」
「特別だよ。でも、こうして話してると結構自然だから…慣れたのかな」
「慣れ…って。喜んでいいのかどうかわからない感想だなあ」
「ふふっ」
こんなにも素敵な男性を、私は独り占めしようとしているの?
以前の私なら「私なんか無理」って、怖くて逃げてたに違いない。
でも今の私は、以前より少しだけ貪欲になってる。
私を狭い殻から抜け出させてくれた彼を好きになってしまったんだ。
この正直な気持ちを、受け入れるしかない。
「瑠璃さんが逃げてしまわないうちに、抱きしめたい」
ため息まじりにぎゅっと抱きしめられ、潮の香りと彼の爽やかなシャツの香りにうっとりとなる。
私は遠慮がちに彼の背中に手を回し、胸に頬を寄せた。
「逃げないよ、大丈夫」
「でもまだ深瀬くんて呼んでるし。俺のことは海斗って呼んで」
「……そうだね、二人でいる時は海斗だったね」
顔を上げると海斗の綺麗な瞳がすぐ目の前まで迫っていた。
言葉がなくても私の気持ちが通じたのか、目を閉じるとすぐに唇が塞がれた。
(海斗、私を選んでくれてありがとう……大好き)
海で幾度もキスを交わした後、私たちは近くのホテルで互いの気持ちを確かめるように体を重ねた。