私立秀麗華美学園
「和人、何やる?」

「数学かなー。ベクトルの演習の続き」

「じゃあ英語貸して。部屋まで取りに行くのめんどうだし」


ゆうかはソファーの上で三角座りになり、薄手の毛布を肩かけて英語の教科書を読み始めた。

暖炉の近くは暖房が届きにくくなっているため暖炉に面していない側の身体は少し肌寒い。
全室冷暖房完備の学園生活ではなかなか感じることのない、体感温度のムラだ。


ベクトルは雄吾に聞いていた通り難しい単元のようだった。
まず、概念を理解するのに時間がかかった。理解してしまえばなるほど便利な考え方なんだな、とは思う。
だけどこれだって重要度で、おかゆの作り方を上回ることはないだろう。


ノートと問題集を開いて問題を解き、解説を見ても理解できない時はゆうかに聞いた。
英語の本文暗記をしながらでも、ゆうかは問題とノートを少し眺めれば俺の間違えている部分を指摘できた。


「和人が間違えるところなんてもう見当つくもの」

「ベクトルは苦手になるかもとか言ってなかったっけ」

「そう思ったから、もう空間ベクトルまでやっちゃった」


俺の知らない種類のベクトルの名前を呟いて、ゆうかは英語の長文に目を落とす。

時間と共に人は減っていった。暖炉で暖をとっているのは俺たちだけだ。
温かい静寂の中で、パチパチと薪の爆ぜる音が時々大きく響く。

演習ページが一通り終わったちょうどその時、ゆうかが口を開いた。


「あのさー」

「ん?」

「包丁のことなんだけど」

「え? 包丁?」


ゆうかは英語の教科書を閉じてテーブルに置き、毛布をかぶり直す。


「手切ったら和人がうるさいから持たないって、言ったでしょ」

「ああ、さっきの」


ゆうかの作ったサラダを見て言った、あの時のことだ。
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