優しい三途の川の渡り方
「どーも、こんにちはお兄さん!」
とびっきりの笑顔で相手の顔を覗き込む。目を見開いて驚いた様子の男は、私と同い年くらいの見た目で、黒いジャケットを羽織っていた。
「さっき、ずっと見てましたよね?どうかしましたか?」
今日の私はやはりおかしい。いつもなら、知らない人と話すなんて怯えるくらいだったのに。
ああでも確か、会社に勤める前は今よりフレンドリーだった気がする。
それが戻ってきたのか、はたまたハイテンションになってるだけなのか。わからないけれど、私はなにも言わない男に話しかけ続けた。
「あ、もしかして『危ないぞー』って言ったの、あなたですか?どうして見ていたのに助けに行かなかったんですか?」
「…そうだ。じゃあ逆に聞くけど、なんで助けたんだ?」
何を言っているんだろう、この人は。私には理解のできない言葉を、色のない声で話す。私はまた口角を引き上げて、反論を投げた。
「あんなに小さい子が、目の前で引かれて死んじゃったら嫌じゃないですか」
「でもお前だって死ぬ可能性があっただろ」
すかさず言葉を挟んでくる男。
分かり合えない人がいることは知っている。目の前の彼は、それに相当するのだろう。
こいつはハートの1だ。
「俺は生きたいから。死ぬわけにはいかない」
トランプを取り出そうとした時、そんな声が降ってきた。
生きたいから、助けない。
人道的でないことは確かだが、もしかすると、私の行動はそういうことなのかもしれないと思った。
私は今日、死ぬ。
死んでいい、だから死ぬかもしれない賭けに手を出してまで助けた。
もし私が生きたいと願っていたら、あの男のように助けなかったのだろうか。
道徳が勝るか、死にたいという気持ちからくるのか。
私は一体、どちらが要因であの子を救ったのだろう。
わからなくなった。男の一言が私の心を掻き乱す。どちらにせよ、終わったことだ。事実なんて変わらないのに。
「……ねえ、お兄さん?まあ何にせよ、あなたが助けてくれなかったせいで、せっかくの服や鞄が汚れちゃったのよねー。今日一日、付き合ってよ」
言ってしまってから、私はナンパでもしているのかと内心羞恥で包まれる。でも男はそんな私の気持ちなど気にすることもなく、無表情で答えた。
「……まあいいけど。でも俺も探し物があるから、それを探しながらで」
「ありがと!いいわよ、何を探してるの?」
「それは言えない。ただ、ずっと探してる。もう何年も…」
物憂げな表情で、男は俯く。事情は知らないが、大切なものなのかもしれない。手伝わない訳では無いが、今はどうでもよかった。
どうせこの人には明日も明後日もある。
今日だけ適当に付き合ってもらえばそれでいい。
「わかった。じゃあ、とりあえず名前!私は若村有利」
「……長都 純」
「じゃあナガトで。今から百貨店に行くからよろしくね」
「いきなり呼び捨てかよ」
聞いていない振りをした。微笑んで歩きだし、彼も私に着いてくる。
呼び捨て?そんなのどうでもいい。
今日始まって、今日終わる関係。
そんなものに、一体何があるのだろう。この短い期間に、何が生まれるというのだろう。
あんなにも長い間苦痛を費やしても、何かが生まれるどころか、失ってばかりだったというのに。
まあいい。これでまた準備は整った。
最高の最期を迎えるための、付き添い人を選んだ。
それだけのことだ。