消女ラプラス
第二章 ユグド・タワー
『ユグド・タワー』は日本、いや世界で最も高い人工建築物だ。
高さは千五百四十メートル。
世界樹ユグドラシルの名を由来とするだけあって、その威容は天に届きそうな大木を彷彿とさせる。
僕はポケットから『ライプラリ』を取り出して時刻を確認する。
二十一時。
『ユグド・タワー』の一般開放エリアが閉館するのは二十二時だから、後一時間の猶予がある。
ギリギリの時間に来たのは、あまり長い間うろつくと怪しまれるから。
ごく普通の観光客を装い入り口でチケットを買う。
タワーの中に入ると、本当に大木の内部に入ったかの様な景観に思わず息を飲んだ。
木の洞のように重厚な茶色の内壁。
深碧の光が降り注ぐ内部の頭上には螺旋階段がどこまでも続いており、その中央にスケルトンのエレベーターチューブが二本屹立している。
チューブ内部では、天国行きの片道切符の様に観光客が空高く運ばれていく。
もちろん螺旋階段では間に合わないので、列に並んで僕もエレベーターに乗り込む。
この国のシンボルなだけあって、閉館間際でもエレベーターはほぼ満員。
最上階の展望フロア――一般人が立ち入れる一番高い階に到着すると、眼下で小さなキノコの様に生えている高層ビル群が見えた。
ここまで高いタワーになると、夜景を楽しむというよりは星空を眺めるのが目当てになってくる。
賑わう館内を僕は無心で歩き――程なく、通路の壁に関係者専用と書かれたドアを見つける。
予想通りドアは施錠されていて、横のカードリーダーにカードキーを通さないと開かない仕組みになっていた。
僕は焦ることなく内ポケットを探り、タワーに勤務している父親から盗んだカードキーを取り出す。
人目の少ないタイミングを突いてキーを通す。……が、無情にも小さな警告音と共にドアの脇のランプが赤く灯った。
想定外の事態に頭が真っ白になる。まさかキーの権限が足りないのか?
ゆっくりその場を離れ、動揺を抑える為に一旦深呼吸をする。
詰めが甘かった。父親はこのタワーに昔から勤めているが、それでも役職は中間管理職止まり。
もしこれより上層に機密レベルの高い何かがあるのだとすれば、父親の権限ではパス出来なくても不思議ではない。
しかしこれより上の階となると、後もう数フロアしかないはず。そんな場所に一体何があると言うのだろう……?
考えても仕方ない。どうする? 一旦今日は引き返すか?
必死に考えながら歩き出した時、すれ違いざまに誰かにぶつかってしまった。
咄嗟に立膝を突いた僕に、その人物は屈んで手を差し伸べる。
「おっと失礼、少年。大丈夫かい?」
声をかけてきたのは、紫色のロングヘアーにグレージャケット姿の長身の美男子。
プロポーションのせいでかなり年上に見えるが、雰囲気からして二十歳前後というところだろうか。
紳士的な物腰に好感を覚えたが、僕はその手を借りることなく立ち上がった。
「大丈夫です。自分で立てますから」
「そうかい? それでも君は俺の手を借りるべきだったと思うけどね」
「どうしてですか?」
「少年の振る舞いはどこか危うい」
男は僕の目をジッと見据えた。
「罪に飲まれ、必要以上に自分を追い込んでいる様に見える」
背筋をゾクッと悪寒が走った。
全てを透徹するような灰色の瞳から目を逸らし、僕は呟く。
「言ってる意味が分かりません」
「それは失礼。通行の妨げだし、俺は行かせてもらうよ」
そう言い残して男は、関係者入口のドアへ向かってカードキーを取り出す。
タワーの関係者だったのか。などと思っているうちに男はロックを解除して中へ消えた。
後を追う間もなくドアが降りてしまい、僕はまたしても立ち往生する。
ライプラリで時間を見ると、すでにリミットまで二十分を切っていた。もう時間がない。
その時、僕は足元で微かな光沢を放つ何かに気付いた。
そんな……まさか――
高さは千五百四十メートル。
世界樹ユグドラシルの名を由来とするだけあって、その威容は天に届きそうな大木を彷彿とさせる。
僕はポケットから『ライプラリ』を取り出して時刻を確認する。
二十一時。
『ユグド・タワー』の一般開放エリアが閉館するのは二十二時だから、後一時間の猶予がある。
ギリギリの時間に来たのは、あまり長い間うろつくと怪しまれるから。
ごく普通の観光客を装い入り口でチケットを買う。
タワーの中に入ると、本当に大木の内部に入ったかの様な景観に思わず息を飲んだ。
木の洞のように重厚な茶色の内壁。
深碧の光が降り注ぐ内部の頭上には螺旋階段がどこまでも続いており、その中央にスケルトンのエレベーターチューブが二本屹立している。
チューブ内部では、天国行きの片道切符の様に観光客が空高く運ばれていく。
もちろん螺旋階段では間に合わないので、列に並んで僕もエレベーターに乗り込む。
この国のシンボルなだけあって、閉館間際でもエレベーターはほぼ満員。
最上階の展望フロア――一般人が立ち入れる一番高い階に到着すると、眼下で小さなキノコの様に生えている高層ビル群が見えた。
ここまで高いタワーになると、夜景を楽しむというよりは星空を眺めるのが目当てになってくる。
賑わう館内を僕は無心で歩き――程なく、通路の壁に関係者専用と書かれたドアを見つける。
予想通りドアは施錠されていて、横のカードリーダーにカードキーを通さないと開かない仕組みになっていた。
僕は焦ることなく内ポケットを探り、タワーに勤務している父親から盗んだカードキーを取り出す。
人目の少ないタイミングを突いてキーを通す。……が、無情にも小さな警告音と共にドアの脇のランプが赤く灯った。
想定外の事態に頭が真っ白になる。まさかキーの権限が足りないのか?
ゆっくりその場を離れ、動揺を抑える為に一旦深呼吸をする。
詰めが甘かった。父親はこのタワーに昔から勤めているが、それでも役職は中間管理職止まり。
もしこれより上層に機密レベルの高い何かがあるのだとすれば、父親の権限ではパス出来なくても不思議ではない。
しかしこれより上の階となると、後もう数フロアしかないはず。そんな場所に一体何があると言うのだろう……?
考えても仕方ない。どうする? 一旦今日は引き返すか?
必死に考えながら歩き出した時、すれ違いざまに誰かにぶつかってしまった。
咄嗟に立膝を突いた僕に、その人物は屈んで手を差し伸べる。
「おっと失礼、少年。大丈夫かい?」
声をかけてきたのは、紫色のロングヘアーにグレージャケット姿の長身の美男子。
プロポーションのせいでかなり年上に見えるが、雰囲気からして二十歳前後というところだろうか。
紳士的な物腰に好感を覚えたが、僕はその手を借りることなく立ち上がった。
「大丈夫です。自分で立てますから」
「そうかい? それでも君は俺の手を借りるべきだったと思うけどね」
「どうしてですか?」
「少年の振る舞いはどこか危うい」
男は僕の目をジッと見据えた。
「罪に飲まれ、必要以上に自分を追い込んでいる様に見える」
背筋をゾクッと悪寒が走った。
全てを透徹するような灰色の瞳から目を逸らし、僕は呟く。
「言ってる意味が分かりません」
「それは失礼。通行の妨げだし、俺は行かせてもらうよ」
そう言い残して男は、関係者入口のドアへ向かってカードキーを取り出す。
タワーの関係者だったのか。などと思っているうちに男はロックを解除して中へ消えた。
後を追う間もなくドアが降りてしまい、僕はまたしても立ち往生する。
ライプラリで時間を見ると、すでにリミットまで二十分を切っていた。もう時間がない。
その時、僕は足元で微かな光沢を放つ何かに気付いた。
そんな……まさか――