消女ラプラス
切ない口調で告げると、時雨さんは一瞬表情を固めてから視線を落とした。

「夕立君、凄く残念よ……貴方なら私を選んでくれると思ったのに」



そして今度は怒りではなく、覚悟を決めた瞳で僕を見据えて刃の切っ先を向ける。

「分かった。貴方は虫けらなんかじゃない。一人の男、一人の人間として認めるわ」

「ありがとう。こんな形でその言葉を聞くのは、とても悲しいけれど」



一人の男、一人の人間として認める……それはつまり一人の敵として僕を認めたということ。

こうなってしまった以上仕方ない。僕はラプラスに近づくと血に染まったタオルを返した。

「――始君」

「ああ、分かってる」



僕は時雨さんから目を逸らさずに答えた。

「時雨さんは『天使』だ。だからラプラスの予知は通じない……つまり自力で戦うしかないってことだよね?」

「そうよ。でもね、これは言ってなかったけど『天使』に対する行動予測は百パーセント不可能なわけじゃないの。特にこれほど至近距離で見ているなら、断片的になら相手の行動を予知出来る」

「え、そうなのか?」



僕は驚いたが、確かに考えてみれば思い当たる節はある。

まだ出会う前、ラプラスは僕が自殺する為にユグド・タワーにやって来ることを知っていた。

『天使』相手と言えど、全く未来を予知できないわけではない。

更に彼女の話によれば、肉眼で相手を捉えている状態ならその精度は上がると言う。

だとすれば、この戦いは勝機が見えてくる。

「それ以上コソコソと悪巧みする気? 悪いけど私は待たせる男は嫌いなのよね」



時雨さんは鎌を振りかぶって攻撃を仕掛けてきた。フリではなく一撃で仕留める、本気の一閃。

「ラプラス! 下がって!」



僕は咄嗟に『リング』を起動し、跳躍して刃をかわした。

顔面に蹴りをいれようとしたが、後ろに飛びのいて回避される。

「あらら……?」



僕を見て、時雨さんの顔が怪しげに歪んだ。

「戦闘が始まってるのに丸腰だなんて……まさか私を傷つけたくないから、ってわけじゃないわよね? ということは武器の生成がまだ出来ないのかしら?」



正確な分析にも僕は動揺せず、今度はこちらから彼女目掛けて突撃する。

「始君! 正面!」



ラプラスの叫びと同時に時雨さんが刃を振り下ろしてくるが、僕は空中にプラズマの壁を作ってそれを防ぐ。

壁はすぐに割れてしまったが、勢いの落ちた刃を白刃取りの要領で奪い取ろうとした。

だが……

「ダメ! 逃げて!」



ラプラスの声に応じるのが一瞬遅かった。時雨さんはもう片方の手でスパークを放ち、それがみぞおちに直撃する。

「ぐあッ!」



そのまま元の位置まで吹き飛ばされた僕にラプラスが叫ぶ。

「始君、やっぱり無茶だよ! 戦力差が圧倒的過ぎるし、私の声も間に合わない!」

「ラプラス……」



僕はヨロヨロと立ち上がりながら告げる。

「僕は『天使』と呼ばれる存在だけど……その前に一人の人間だ」

「それがどうしたって言うの?」

「人間は力で負けているなら工夫で勝つ生き物だ」



自分に言い聞かせるようにしては話しながら、僕は辺りを見渡す。

「原始時代には剣なんてなかった。初めて人類が手にしたのはその辺にある棒程度だったはず」



僕はそう言いながら、ラプラスの横に立っていた標識の支柱を掴んだ。

その固い感触を脳内に刻み込み、手放すと同時に感覚を圧縮していく。

すると徐々に僕の右手に青い粒子が集まり形を取り始め、遂に一本の棒となった。

「いきなり火や剣を使おうとするからダメだったんだ。僕はもう、訓練の時と同じ間違いは犯さない!」



青く光る棒を握りしめた僕を見て、時雨さんは嘲笑を浮かべる。

「ようやくサルが武器を扱うレベルに進化した……ということね。だけど私との戦いを『リング』の練習代わりにするなんて、時雨流への侮辱と同義よ」

「だったらその時雨流とやらの力を見せてみろ!」



僕は即席の武器を振り上げて再び時雨さんに飛び掛かり……激しい青の火花が、静まり返った商店街の路地を照らし出した。
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