消女ラプラス
第十三章 死にゆく者と生き抜く者
ラプラスの案内に従って街を進むと、程なくして街外れに廃工場が見えてきた。
どうやら使われなくなってそれほど時間は立っていないらしく、電気や水道もまだ通っている。
鍵のかかっていない裏口から入り、薄暗い工場内のコンテナを背にして座り込むと一気に疲れが押し寄せてきた。
『ソロモン・リング』の反動もあって、全身が筋肉痛になったかのように体の節々が痛む。
「始君、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。でもこれ以上『リング』を使ったらまた昨日みたいに倒れてしまいそうだ」
僕は弱弱しく笑いながら返すと、ラプラスは僕の顔をジッと見つめた。
「始君、『リング』を貸して」
「え? いいけど……」
ポケットにしまっていた『リング』を渡すと、ラプラスは不意に僕の手を持ち上げて中指にそれを嵌めてきた。
「や、やめてよ。しばらくそれは身に付けたくないんだから」
「安心して。普通に起動するわけじゃないわ……この『リング』には他にも使い道が
あるの」
不意にラプラスは目を閉じ、指輪を嵌めた手を握ったまま額と額を合わせてくる。
「な、何……⁉」
「しー! そのまま静かに座ってて」
彼女の綺麗な顔を目の前にしてドキドキを抑える方が難しかったが、それでも僕は気を静めようと目を閉じる。
すると……不思議なことに、頭の中で徐々に静かなさざ波の音が響き始め、続いて青い海が広がる浜辺の情景が浮かんできた。
黄昏時の茜空も相まって、それはとても幻想的で美しい。
「ラプラス、これは一体……?」
「『コンセプション・リンク』の応用だよ。今私と始君は指輪を通して電気信号で繋がってる。だから、こうして密着すると私が想像しているものを相手に見せることも出来るの」
「なるほど。でも……どうして海?」
「疲労回復効果があると思って。それに私、海が大好きだから想像するのも得意なの」
確かに脳内に広がる海は幻想的でありながらもリアルティがあって、見ているだけで心身が落ち着いていくのを感じた。
心地よい感覚に酔いしれながら、僕はお礼を言う。
「ありがとう、ラプラス」
「いいの。私に出来ることなんてこれくらいしかないから」
「そんなことないけど……そう言えば海にはいつ行ったの?」
単純に興味本位の質問だった。幼い頃から各地の研究所を転々とし、そしてユグド・タワーに幽閉されている少女が海を見る機会などあったのか。
しかしその後しばらく沈黙が続き、僕が心配になった頃合いに彼女は口を開いた。
「フランスにいた頃……お姉ちゃんと一度だけ行ったの。お姉ちゃんとは歳が七つも離れていて、すぐに実家を出てしまったからほとんど会えなかったけど……たまに私に会いに来てくれて色んな所に連れて行ってくれた」
ラプラスのお姉さん……ラプラスと同様『天使』あり、ラプラスを解放しようとして命を落とした人物。
ラプラスはきっとフランスで人体実験目的で捕まり、お姉さんは彼女を救おうとして日本までやってきたのだろう。そこまでは何となく想像できた。
「……何か変なこと聞いてごめん」
「いいの。全ては過ぎ去ったことだから。もうお姉ちゃんは二度と帰ってこない。だからこそ、私はもう二度と誰も失いたくない」
その時――ラプラスが映し出す浜辺に銀色の人影が映った気がして、僕は思わず声を上げた。
「ラプラス! 今のは……!」
「え? 何⁉」
集中力が途切れてラプラスが額を離すと同時に、人影が消えてしまう。
しまった……慌てず冷静に人影を確かめてみるべきだった……
もう一度ラプラスに『コンセプション・リンク』をしてもらう手もあるが、ラプラスも目に見えて疲弊している。次は僕が彼女を癒すべき番だろう。
とは言え、僕には『コンセプション・リンク』のやり方は分からない。
何度か躊躇った挙句、僕はラプラスの小さな体をそっと抱きしめた。
「わわっ! 急にどうしたの?」
「さ、さっきのお礼だよ。人間はハグをすることでも大きな疲労回復効果が得られるって何かの本で読んだんだ」
「……それ、適当に言ってるわけじゃないよね?」
「ほ、本当だって! 嘘ならメイに聞いてみればいいだろ!」
その時、ポケットのライプラリが勝手に起動して悪戯っぽい表情を浮かべたメイが答える。
「確かにハグには絶大なリラックス効果があります。ただ、それは相手が好きな人間である場合に限りますよ?」
「ええ⁉ そうなの⁉」
慌てる僕の体を、今度はラプラスの方から抱きしめてきた。
「ラプ……ラス……?」
「か、勘違いしないで。ただ……始君とこうしているとなぜか寂しくないの。だからこのままでいい」
「わ、分かった」
ドギマギしながら抱き返す僕のポケットから、メイの呟き声が聞こえた気がした。
「神様……そんな分かりやすいツンデレ、今どき流行りませんよ――」
どうやら使われなくなってそれほど時間は立っていないらしく、電気や水道もまだ通っている。
鍵のかかっていない裏口から入り、薄暗い工場内のコンテナを背にして座り込むと一気に疲れが押し寄せてきた。
『ソロモン・リング』の反動もあって、全身が筋肉痛になったかのように体の節々が痛む。
「始君、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。でもこれ以上『リング』を使ったらまた昨日みたいに倒れてしまいそうだ」
僕は弱弱しく笑いながら返すと、ラプラスは僕の顔をジッと見つめた。
「始君、『リング』を貸して」
「え? いいけど……」
ポケットにしまっていた『リング』を渡すと、ラプラスは不意に僕の手を持ち上げて中指にそれを嵌めてきた。
「や、やめてよ。しばらくそれは身に付けたくないんだから」
「安心して。普通に起動するわけじゃないわ……この『リング』には他にも使い道が
あるの」
不意にラプラスは目を閉じ、指輪を嵌めた手を握ったまま額と額を合わせてくる。
「な、何……⁉」
「しー! そのまま静かに座ってて」
彼女の綺麗な顔を目の前にしてドキドキを抑える方が難しかったが、それでも僕は気を静めようと目を閉じる。
すると……不思議なことに、頭の中で徐々に静かなさざ波の音が響き始め、続いて青い海が広がる浜辺の情景が浮かんできた。
黄昏時の茜空も相まって、それはとても幻想的で美しい。
「ラプラス、これは一体……?」
「『コンセプション・リンク』の応用だよ。今私と始君は指輪を通して電気信号で繋がってる。だから、こうして密着すると私が想像しているものを相手に見せることも出来るの」
「なるほど。でも……どうして海?」
「疲労回復効果があると思って。それに私、海が大好きだから想像するのも得意なの」
確かに脳内に広がる海は幻想的でありながらもリアルティがあって、見ているだけで心身が落ち着いていくのを感じた。
心地よい感覚に酔いしれながら、僕はお礼を言う。
「ありがとう、ラプラス」
「いいの。私に出来ることなんてこれくらいしかないから」
「そんなことないけど……そう言えば海にはいつ行ったの?」
単純に興味本位の質問だった。幼い頃から各地の研究所を転々とし、そしてユグド・タワーに幽閉されている少女が海を見る機会などあったのか。
しかしその後しばらく沈黙が続き、僕が心配になった頃合いに彼女は口を開いた。
「フランスにいた頃……お姉ちゃんと一度だけ行ったの。お姉ちゃんとは歳が七つも離れていて、すぐに実家を出てしまったからほとんど会えなかったけど……たまに私に会いに来てくれて色んな所に連れて行ってくれた」
ラプラスのお姉さん……ラプラスと同様『天使』あり、ラプラスを解放しようとして命を落とした人物。
ラプラスはきっとフランスで人体実験目的で捕まり、お姉さんは彼女を救おうとして日本までやってきたのだろう。そこまでは何となく想像できた。
「……何か変なこと聞いてごめん」
「いいの。全ては過ぎ去ったことだから。もうお姉ちゃんは二度と帰ってこない。だからこそ、私はもう二度と誰も失いたくない」
その時――ラプラスが映し出す浜辺に銀色の人影が映った気がして、僕は思わず声を上げた。
「ラプラス! 今のは……!」
「え? 何⁉」
集中力が途切れてラプラスが額を離すと同時に、人影が消えてしまう。
しまった……慌てず冷静に人影を確かめてみるべきだった……
もう一度ラプラスに『コンセプション・リンク』をしてもらう手もあるが、ラプラスも目に見えて疲弊している。次は僕が彼女を癒すべき番だろう。
とは言え、僕には『コンセプション・リンク』のやり方は分からない。
何度か躊躇った挙句、僕はラプラスの小さな体をそっと抱きしめた。
「わわっ! 急にどうしたの?」
「さ、さっきのお礼だよ。人間はハグをすることでも大きな疲労回復効果が得られるって何かの本で読んだんだ」
「……それ、適当に言ってるわけじゃないよね?」
「ほ、本当だって! 嘘ならメイに聞いてみればいいだろ!」
その時、ポケットのライプラリが勝手に起動して悪戯っぽい表情を浮かべたメイが答える。
「確かにハグには絶大なリラックス効果があります。ただ、それは相手が好きな人間である場合に限りますよ?」
「ええ⁉ そうなの⁉」
慌てる僕の体を、今度はラプラスの方から抱きしめてきた。
「ラプ……ラス……?」
「か、勘違いしないで。ただ……始君とこうしているとなぜか寂しくないの。だからこのままでいい」
「わ、分かった」
ドギマギしながら抱き返す僕のポケットから、メイの呟き声が聞こえた気がした。
「神様……そんな分かりやすいツンデレ、今どき流行りませんよ――」