消女ラプラス
コツコツと革靴の音を響かせて、誰かがこちらに歩いてくる。
長身の腰元まで伸びた波打つ紫の髪に、氷の様な青を放つプラズマブレード。
その刃が消え去った時、私は男の背後の光景を目の当たりして目を見開いた。
死屍累々と重なる、歌姫たちの屍。
全部で五十体は超えていたであろう歌姫たちをこの男はもしかして、たった一人で片づけたと言うの?
「時雨鏡花。もう大丈夫だよ。無粋な来客は全てご退場して頂いた」
ニッコリと笑みを浮かべてその男――五月雨終は私に白馬の王子の如く手を差し伸べた。
「約束だからね。君は責任を持って俺が管理してあげないと」
軋む腕を持ち上げて、私は彼の手を取る。
歌姫にやられた傷と『ソロモン・リング』の反動で満身創痍だったけど、五月雨が歌姫の相手をしている間に多少は回復したみたいだ。
「貴方は……どうして私を助けるの?」
弱弱しい声を絞り出すと、彼は長髪をなびかせて微笑む。
「言っただろう? これは約束なんだ、俺は君を救う義務がある。それが例え憎い堕天使だとしても」
「堕天使……?」
「『天使』でありながら『神様』であるラプに対して反逆の刃を向ける。これを堕天使と呼ばずして何と呼ぶんだい?」
ああ……傍から見ると、私はそう見えていたんだ。
確かに私は『天使』という特殊体質を利用して神を殺そうとした。
そういう意味では私は堕天使であり卑怯者だ。地に堕ちたとしても仕方ないのかもしれない。そして……その報いは案外に早くやって来た。
紳士の如く優しく抱き起こした五月雨は刹那、強烈な膝蹴りを私の腹部に叩き込んだ。
私は成すすべもなく飛ばされ、店の壁に叩きつけられて崩れ落ちる。
「へえ……咄嗟に『リング』を起動して衝撃を緩和するなんて、俺のことを信頼してなかったのかい?」
私は血を吐きながら立ち上がると、青く光る指輪を彼に向けて言い放つ。
「散々私を殺そうと画策してきた男をすぐ信頼するほど無能ではないわ……時雨家の血を甘く見ないで!」
「なら、どうして俺が君を殺せてしまうのかも当然理解しているんだよね?」
「それは……」
その時、一つの可能性に行き当たり私は怒りで声を震わせた。
「そう。始君との約束を守るメリットが最初から存在しない……としたら?」
「まさか貴方、時雨財閥関連の施設を全て破壊する気⁉」
もはやそれしか考えられない。
『ラプラス・システム』に潜入しているハッカーの存在は五月雨にとって脅威だ。
だけど、もし最初から時雨財閥そのものを潰すつもりでいたのだとしたら、私の情報提供がなくてもハッカーもろとも排除出来てしまう。
つまり、利用価値の存在しない私は最初から殺される予定だったのだ。
怒りに震える私を見て、五月雨は天使とは正反対な笑顔を浮かべる。
「まあそう怒らないで欲しい。どのみち時雨財閥の覇権もじきに終わりを告げる。今回の一件で時雨家は失脚し、時雨義治は責任を取って代行者委員会を追放される。君はちゃんとそこまで先を考えて計画を実行したのかい?」
「当たり前よ! 私が『神殺し』に成功すれば私自身、そして国も『システム』の支配から解放される! そうすれば『システム』の後ろ盾を失った貴方は失脚し、父上は『システム』に頼らない古き良き日本を再建してくれるはず!」
「……やはりそうか、時雨鏡花。お前たち一族は昔から『システム』による統治に否定的だった。だから『システム』はお前の排除を指示した」
そして、五月雨は深淵の底を除くような瞳を向ける。
「なぜお前は『神様』を否定する? 事実、『システム』の普及によりこの国家からは事故という現象はほぼ消滅した。適切な未来予知により計画的な人生設計を立てられるようになった。それなのになぜお前はこの理想郷の破壊を目論むのだ?」
「こんな世界は……絶対に間違っている……」
息が苦しい……ゼェゼェと呼吸を荒げながら、それでも私は必死に声を絞り出す。
「……最初から……最初から全て『神様』に運命を定められ、自由を失った世界に何の価値があるの⁉ その代償が夕立君の様な『魔女』と呼ばれる人たちじゃない! 貴方たちは一部の『不適合者』を切り捨てて、『適合者』達に運命を押し付けているだけよ!」
「……あくまでも、それが堕天使たる君の答えなんだね」
そう言って、五月雨は静かにプラズマブレードを生成した。
「残念だよ。どのみち生かしてはおけなかったが、もっとマシな行動原理が聞けると思っていた」
「始君との約束を本当に破る気なの? 私がここで死ねば、彼は必ず貴方を倒しに来る。彼はそういう男よ」
「随分と始君を信頼しているんだね。勘違いしないで欲しいのは、俺が時雨鏡花を生かしておくと言ったのは『歌姫を全滅させるまで』の話だ」
「フン……どこまでもフェアじゃない男、というのは本当なのね。反吐が出るわ」
「時雨家最後の戦士から賛辞を仕るなんて、大変光栄に思うよ」
私は意識を集中させると、『ソロモン・リング』の力を集約する。
青の光が再び全身を満たす中、更に右手にプラズマを集めてボロボロの鎌を作り出し構えを取る。
相手は、山の様に積み重なる歌姫の屍を一人で築きあげた男。
きっとこれが最後の起動、そして時雨鏡花最後の戦いになる。
それでも私は絶対に挫けない。それが時雨家の誇り……そして、最後まで私を救おうとしてくれた始君に報いるということ。
私は恥も外聞も捨てて雄たけびを上げると、最強にして最凶の『天使』に切りかかった。
長身の腰元まで伸びた波打つ紫の髪に、氷の様な青を放つプラズマブレード。
その刃が消え去った時、私は男の背後の光景を目の当たりして目を見開いた。
死屍累々と重なる、歌姫たちの屍。
全部で五十体は超えていたであろう歌姫たちをこの男はもしかして、たった一人で片づけたと言うの?
「時雨鏡花。もう大丈夫だよ。無粋な来客は全てご退場して頂いた」
ニッコリと笑みを浮かべてその男――五月雨終は私に白馬の王子の如く手を差し伸べた。
「約束だからね。君は責任を持って俺が管理してあげないと」
軋む腕を持ち上げて、私は彼の手を取る。
歌姫にやられた傷と『ソロモン・リング』の反動で満身創痍だったけど、五月雨が歌姫の相手をしている間に多少は回復したみたいだ。
「貴方は……どうして私を助けるの?」
弱弱しい声を絞り出すと、彼は長髪をなびかせて微笑む。
「言っただろう? これは約束なんだ、俺は君を救う義務がある。それが例え憎い堕天使だとしても」
「堕天使……?」
「『天使』でありながら『神様』であるラプに対して反逆の刃を向ける。これを堕天使と呼ばずして何と呼ぶんだい?」
ああ……傍から見ると、私はそう見えていたんだ。
確かに私は『天使』という特殊体質を利用して神を殺そうとした。
そういう意味では私は堕天使であり卑怯者だ。地に堕ちたとしても仕方ないのかもしれない。そして……その報いは案外に早くやって来た。
紳士の如く優しく抱き起こした五月雨は刹那、強烈な膝蹴りを私の腹部に叩き込んだ。
私は成すすべもなく飛ばされ、店の壁に叩きつけられて崩れ落ちる。
「へえ……咄嗟に『リング』を起動して衝撃を緩和するなんて、俺のことを信頼してなかったのかい?」
私は血を吐きながら立ち上がると、青く光る指輪を彼に向けて言い放つ。
「散々私を殺そうと画策してきた男をすぐ信頼するほど無能ではないわ……時雨家の血を甘く見ないで!」
「なら、どうして俺が君を殺せてしまうのかも当然理解しているんだよね?」
「それは……」
その時、一つの可能性に行き当たり私は怒りで声を震わせた。
「そう。始君との約束を守るメリットが最初から存在しない……としたら?」
「まさか貴方、時雨財閥関連の施設を全て破壊する気⁉」
もはやそれしか考えられない。
『ラプラス・システム』に潜入しているハッカーの存在は五月雨にとって脅威だ。
だけど、もし最初から時雨財閥そのものを潰すつもりでいたのだとしたら、私の情報提供がなくてもハッカーもろとも排除出来てしまう。
つまり、利用価値の存在しない私は最初から殺される予定だったのだ。
怒りに震える私を見て、五月雨は天使とは正反対な笑顔を浮かべる。
「まあそう怒らないで欲しい。どのみち時雨財閥の覇権もじきに終わりを告げる。今回の一件で時雨家は失脚し、時雨義治は責任を取って代行者委員会を追放される。君はちゃんとそこまで先を考えて計画を実行したのかい?」
「当たり前よ! 私が『神殺し』に成功すれば私自身、そして国も『システム』の支配から解放される! そうすれば『システム』の後ろ盾を失った貴方は失脚し、父上は『システム』に頼らない古き良き日本を再建してくれるはず!」
「……やはりそうか、時雨鏡花。お前たち一族は昔から『システム』による統治に否定的だった。だから『システム』はお前の排除を指示した」
そして、五月雨は深淵の底を除くような瞳を向ける。
「なぜお前は『神様』を否定する? 事実、『システム』の普及によりこの国家からは事故という現象はほぼ消滅した。適切な未来予知により計画的な人生設計を立てられるようになった。それなのになぜお前はこの理想郷の破壊を目論むのだ?」
「こんな世界は……絶対に間違っている……」
息が苦しい……ゼェゼェと呼吸を荒げながら、それでも私は必死に声を絞り出す。
「……最初から……最初から全て『神様』に運命を定められ、自由を失った世界に何の価値があるの⁉ その代償が夕立君の様な『魔女』と呼ばれる人たちじゃない! 貴方たちは一部の『不適合者』を切り捨てて、『適合者』達に運命を押し付けているだけよ!」
「……あくまでも、それが堕天使たる君の答えなんだね」
そう言って、五月雨は静かにプラズマブレードを生成した。
「残念だよ。どのみち生かしてはおけなかったが、もっとマシな行動原理が聞けると思っていた」
「始君との約束を本当に破る気なの? 私がここで死ねば、彼は必ず貴方を倒しに来る。彼はそういう男よ」
「随分と始君を信頼しているんだね。勘違いしないで欲しいのは、俺が時雨鏡花を生かしておくと言ったのは『歌姫を全滅させるまで』の話だ」
「フン……どこまでもフェアじゃない男、というのは本当なのね。反吐が出るわ」
「時雨家最後の戦士から賛辞を仕るなんて、大変光栄に思うよ」
私は意識を集中させると、『ソロモン・リング』の力を集約する。
青の光が再び全身を満たす中、更に右手にプラズマを集めてボロボロの鎌を作り出し構えを取る。
相手は、山の様に積み重なる歌姫の屍を一人で築きあげた男。
きっとこれが最後の起動、そして時雨鏡花最後の戦いになる。
それでも私は絶対に挫けない。それが時雨家の誇り……そして、最後まで私を救おうとしてくれた始君に報いるということ。
私は恥も外聞も捨てて雄たけびを上げると、最強にして最凶の『天使』に切りかかった。