消女ラプラス
僕が工場の屋根に上ると、ラプラスは仰向けになって穏やかな寝息を立てていた。

五月雨は最初から、工場のどこにもラプラスを隠していなかった。

戦いに巻き込まれる可能性を想定すれば、そもそもあんな危険な屋内にラプラスを連れていけない。

ルール違反に見えるかもしれないが、五月雨は『工場のどこかに隠した』と言っただけで『中に隠した』とは言っていない。

工場の屋根に触れているこの状況はセーフということだろう。

「ラプラス……」



僕は歩き出そうとして、その場で崩れ落ちた。

屋根の上に這いつくばり、必死に彼女の元へ行こうとする。

ダメだ……もう、体が動かない。

「ご主人様! しっかりして下さい!」



ポケットからメイが叫ぶ声が聞こえてくる。

震える手でライプラリを取り出すと、メイが真剣な表情で僕を覗き込んでいた。

「メイ……もう大丈夫だよ……ラプラスは無事だ……これでやっと休める」

「ダメです! その体は『リング』の力で消耗して完全に壊れているんです! もし今
『リング』との接続を切れば、反動でご主人様は死んでしまいます!」

「切っても死ぬ、切らなくても消耗していずれ死ぬ……どのみち僕は助からないじゃないか」



あまりに皮肉過ぎて笑いがこみ上げてくる。

せっかく五月雨を倒したのに……せっかく後少しの距離にラプラスがいるのに……僕はここで命を落とすのか。

「いえ、まだ諦めていけません! 助かる可能性はあります!」

「どういう……こと……?」

「『神様』の力を借りるんです。彼女と再び『コンセプション・リンク』して下さい。彼女と繋がって力を分けてもらえば、ご主人様が助かる可能性はあります」



『コンセプション・リンク』……さっき工場に隠れた時にラプラスがしてくれた、脳内の幻を見せるあの技。

あの時僕は彼女に癒しの力を与えてもらった。確かにあれならもしかすると助かるかもしれない。

僕はラプラスを見据えると、再び屋根を這いつくばり始めた。

ごめんね、ラプラス。五月雨にあんな目に合わされた彼女を、僕は自分を助ける為に利用しようとしている。

でもね、君との約束を果たすまで僕は死ぬわけにはいかないんだ。

彼女までの数メートル距離が果てしなく遠い。霞んでいく意識の中で、それでも僕は必死に前へ進み続ける。

ようやくラプラスのすぐ隣に辿り着いた僕は、力尽きてそのまま横たわった。

ダメだ、これ以上はもう何も考えられない。

そもそも『コンセプション・リンク』のやり方が分からないのに……僕は一体、何をやってるんだろう?

リングの光が弱弱しくなり、全身から力が抜けていく。もう、痛みを感じる力すら残っていないのだろう。

リングの光が消えた時、僕の命の灯も消える……そんな予感がした。

「ごめんね……ラプラス」



掠れた声で謝り、僕は目を閉じた。

ゆりかごの中の様な穏やかな微睡みが全身を満たしていく。

天国は一体どんな場所なんだろう……僕が思ったその時、右手を温かい感触が包み込むのを感じた。

ゆっくりと目を開けると、ラプラスが横向きで青い瞳をこちらに向けていた。

「謝らないで。始君は何も悪くないよ」

「ラプ、ラス……」

「ねえお願い。私を本当の名前で呼んで。始君を救う為に必要なことなの」

「本当の、名前……」



その時、僕はラプラスと一緒に学校に行った時のことを思い出す。

彼女にとってあの時間は、一生の思い出となる大切なものだったはず。

だとしたら……もしかしたら、あの時名乗った名前は偽名なんかじゃなくて――

「分かった……君の名を呼ぶよ」



僕が答えると、ラプラスはどこか辛そうな微笑みを浮かべて頷いた。



「――アリス・ミシェーレ。僕を救って欲しい」



その瞬間、リングが眩い光を放って辺りを照らし出した。

光と共に溢れ出したのは、今まで見たこともないほど強大な青の雷光。

それらはやがて一つに収束し、まるで青い太陽の様に僕らを包み込んで激しさを増していく。

やがて吹き荒れる風に耐えきれなくなり、工場の屋根がベキベキと軋みながら割れ始める。

「ダメだ! このままだと落ちるよ!」

「静かに! 今集中してるから!」



そう言って、ラプラスは目を閉じて額を合わせてきた。

同時に足元の屋根が裂け、僕は咄嗟に目を閉じたままの彼女を空中で抱きしめて――

「コンセプション・リンク!」



彼女の叫びと同時に、落ちていく僕らの意識は眩い光の中へと消えた。
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