アラサー女子は甘い言葉に騙されたい



 マンションのエントランスに着く頃には、雨足は強まってしまい、2人は見事にびしょ濡れになってしまった。

 「吹雪さん、大丈夫?女の子なのに……濡れちゃったね」
 「私は大丈夫だよ。風邪ひきにくいし」
 「ダメだよ、油断しちゃ。家に帰ったらちゃんと温かいお風呂に入ってね」
 「………うん」
 「じゃあ、俺は帰るね。タクシーに乗れれば大丈夫だから」


 そう言って、おでこや頬についた髪を拭いながら、ニッコリと笑ってこちらに手を振る周。ずぶ濡れのまま帰ったら彼こそ風邪をひいてしまう。それにこんな急な天気でタクシーも捕まらないだろう。
 そんな事は言い訳だと思いながらも、吹雪は咄嗟に手を伸ばし周のジャケットの裾を掴んだ。


 「…………待って!」
 「え………吹雪さん?」
 「その………風邪ひいちゃうから。私の部屋に寄っていって………」


 自分から誘っておきながら、どんどん声が消えそうなぐらい、小さくなってまう。
 恥ずかしさで、彼の顔を見る事など出来ず、ただただ濡れた手で彼のジャケットをつかんでいる事しか出来ないのがたまらなく悔しい。


 「まだ、帰らないで」なんて、可愛らしい言葉を言えるはずもなかった。




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