千の夜と奇跡の欠片(ひのみ りん短編集)
「後台、おまえな」
後台の云いたいことが伝わった津田が、眉を動かした時。
レジを交代した弥生が二人に近づいてきた。
「はあ。お疲れさまです。津田さん、後台さん。休憩入りますね」
「お疲れさま。よく休んで」
数百人の会計レジを打ち終え疲労困憊という弥生が会釈をし、よろめきながら事務所に向かって行く。
「欲しいと思ったときは行動するさ。指をくわえて見て終わるなんて、できるわけがない」
津田の瞳には弥生の後ろ姿が写っている。
「強欲ですね。津田さん」
「……」
津田は無言で腕時計に目を落とす。
「穣のお迎え時間まで、あと一時間か」
「おれが行きますよ。休憩時間ですから」
後台の言葉に津田は頷き、休憩室へタブレットPCを取りに行くと弥生がため息をついている。
津田に気づくと弥生は苦く笑った。
「私はやっぱり接客業には向いていないのかも」
それ以上、弥生は云わないが押し掛けた客の応対で何か思う事があったのだろう。
「お客さまに不便をおかけしてしまうばかりで。不甲斐ないです」
再びため息する弥生を見て津田の瞳が笑う。
「弥生さんは向いてますよ、接客業。そうやって他人に気を使えるでしょう?」
津田は本心を述べた。
他人の気持ちをわかろうとする、それが大事なのである。
「もっと自信を持ってください。弥生さんがいてくれて、本当に良かったです」
津田の励ましに弥生は笑顔を浮かべた。
「はい。ありがとうございます、津田さん。午後からもがんばります」
知らぬ間に事務室へ戻り二人のやりとりを見た後台が、小さく笑う。
「強欲も時には必要。学びます」
同僚の女性姿を脳裏に浮かべ、後台はパソコンの前に座り発注確認作業を始めた。
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『月の記憶、風と大地 短編』 終わり
2020.8.20.公開