千の夜と奇跡の欠片(ひのみ りん短編集)
令和の梅
『初春の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(かぜやわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す』
(時あたかも新春の好き日、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉(おしろい)のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香のごときかおりをただよわせている)
※中西進著作集19『万葉集全訳注原文付 一』四季社より
『厳しい寒さのあとに春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、ひとりひとりの日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を咲かすことができるように。そうした日本でありたい』
(平成三十一年 四月一日 内閣総理大臣)
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今日届いた梅の写真入りの手紙に、万葉集の一節が記してありました。
私は絵画講師をしているのですが、教え子にちょっと変わった生徒がいましてね。
父親が画家で、母親も画家。
両親のような芸術家を目指し、また両親とは違う絵の教えを受けたいと私の教室に入ったのです。
それだけならまだわかるのですが、生徒は常にカメラを携帯していまして。
皆が技法だの流行りの画風だの、好きな画家について盛り上がっているなか、その生徒はひとりだけそれを離れて見つめ、写真を撮っていいかと許可を得ては写真撮影をしていました。
そんなある日、生徒全員がとある大きな絵画コンクールに参加することになりました。
賞に入ればスポンサーが付き作品と名前が売れる。
生徒たちは意気揚々と作品作りに没頭していました。
私もそんな生徒たちを応援していましたが、例の生徒だけはなかなか進まないようでした。
締め切りも近くなったある日、私は訊ねました。
どうして描かないのか、と。
最初は口ごもっていた生徒でしたが、やがて口を開きました。
「先生。写真でやっていきたいんです」
やっぱり、という確信でした。
写真は嬉々として撮るのに、絵はそんなに楽しそうではないと思っていたからです。
絵を描くために始めた写真撮影の方に面白みを感じている、というところでしょう。
生徒は画像フォルダに保存した写真を見せてくれまして、そこには何千枚という写真がありました。
「写真が好きです。父は画家になってほしいと云っていますが、自分には才能がありません」
その言葉を訊いた私の顔に返答が書いてあったのでしょう、生徒は苦笑します。
「そうです。自分に写真の才能もあるかは、わかりません。でも絵画よりは意欲が湧きます」
絵画講師の私の面目は丸つぶれですが、本人がそこまで云うからには何も返す言葉はありませんでした。
「足下を掘れ、そこに泉あり」
ニーチェのこの言葉だけをその生徒に捧げると不思議そうな顔をして、帰っていきました。
結局、生徒はコンクールには参加をせずに教室を去りました。
実は両親は今回のコンクールで賞をとらせたかったらしく(絵の実力はありました)、両親、特に父親にはかなりの反対をされたようですが、生徒の決意は硬かったようです。
在籍していた生徒だけでコンクールに参加し、嬉しいことに何人か入選を果たしました。
時は戻り、私は手紙を読んでいます。
写真の下からもう一枚、生徒が描いた梅の花が出てきました。
写真家らしい視点の一枚のイラスト。
『先生、足下を掘り続け、やっと写真家という泉にたどり着きました。ありがとうございました。でも、やはり絵もいいものですよね』
最後にそう綴ってありました。
生意気なやつめ、と私は笑いましたが長い年月、諦めなかったあの生徒。
今の年号に合った、見事な花を咲かせたようです。
『令和の梅』終わり
2022.2.2.25