千の夜と奇跡の欠片(ひのみ りん短編集)
狂気の果てに咲く花

「死ぬな!死ぬなー!!」

極寒の山岳で。
吹きすさぶ吹雪のなかで黒い雲に、狂う風に、おれは叫んだ。
いくら叫んだところで、帰って来ないことはわかっているはずなのに、その無駄な行動を衝動的に繰り返さずにはおれなかったのだ。
雪のなかに膝をついたおれの前には、永遠の眠りについた彼女が横たわっている。

彼女は人間に似た容姿だが、人間ではない。

彼女は自分を蔑んだ連中から運命から、ようやく別離したはずだった。
やっと安らぎのある生活を手に入れるはずだったのに。
しかし。
安住の地となるそこにたどり着く直前、彼女は雪と氷の妖精にさらわれてしまったのだ。
人間に受けた虐待と怪我、そしてこの極寒が
彼女を奪っていった。

「……」

雪の純白の冷たいベッドに眠る彼女の顔を、両手で包み込んだ。
生気の失った白く美しい顔を見つめる。
長い睫毛、桃色の唇。
白い雪の化粧に冴えて、どれもとても美しかった。

彼女はおれのものだ。
おれも君のものだ。

吸い込まれるように彼女に口づけた。
冷たい感触が唇に伝わる。
次の瞬間、唇を強く噛んでいた。
鉄を舐めた時のような味が口の中に広がる。
赤い血が唇から流れていた。

それに群がるように吹雪という名の冷たい妖精が、彼女の美しい顔を覆っていく。
指で雪を払うと、再び唇に口づける。
誰にも渡しはしない。

今度は彼女の唇を噛みちぎった。

耳を。
鼻を。
目を。
彼女を貪るように食った。

おれの中で彼女は生き続けるのだ。
血となり肉となり、おれの躯となって。
誰もいない吹雪のなか、新しい肉体と心を宿す。

生きる為に彼女の血を啜る。
おれという人間である為に彼女を食う。

彼女を終わらせないため、おれは生きよう。
永劫に彼女の血は絶やさない。

吹雪は、せせら笑うように吹き付けていた。



『狂気の果てに咲く花』 終わり
(ノベマ!掲載)
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