千の夜と奇跡の欠片(ひのみ りん短編集)
『檸檬の黄昏』ミニエピソード ─チョコレートの告白─
……貿易会社『ツーツリー』の社長である坂口耕平(さかくち こうへい)の亡き妻の妹、麗香(れいか)が耕平の自宅へ押しかけ、昼食を振る舞っている時間である。
副社長の敬司(けいじ)は外で昼食を済ませ、アルバイトである茄緒(なお)は事務所で手作り弁当をとり、食後のお茶をすすっていた。
「やっと耕平さんの餌付けに成功したのに、もう違う人が餌付けしてる」
茄緒が口を尖らせぼやくと、啓司が反応する。
「餌付け?」
「この前、耕平さんにフランスのお土産もらったんです」
フランスに出張した耕平が、お土産にチョコレートを買ってきてくれたことを話した。
「へえ」
「すっごく素敵で綺麗なチョコレートでした。味も、めっちゃ美味しかったです」
うっとりと語る茄緒に苦笑しながら、啓司は訊ねる。
「どんなチョコレート?」
「お花の形のチョコレートとか、色を使った綺麗なチョコレートでした。真ん中にハートがあって。写真撮っておけば良かったです」
それを一緒に食べたのだと云う。
会社の共同経営者で友人でもある耕平の変化と行動に何かを感じ、顎を撫でる。
「耕平がねえ」
「はい。耕平さんがお土産を飼ってきてくださるなんて、本当にびっくりしました。仕事、頑張って良かったです」
茄緒が赤面しつつ嬉しそうに笑った。
敬司は頷いたが心の中では友人である耕平に悪魔めいた笑みを浮かべていた。
仕事に厳しいのは自分も同じかもしれないが、茄緒を明らかに意識している。
妻を亡くし何事にも無反応だった男が心を開き始めている。
(耕平。やっぱり茄緒ちゃんを気に入ってるじゃないか)
新しい人材を雇う事に反対だった耕平。
だが今は茄緒がかけがえのない大切な存在になっている。
しかも想いを伝えているというのに肝心なことが伝わっていないようだ。
それはきっと
君は僕の癒しの花
そして僕の愛しい人だ
というメッセージだったのに。
愛の国、フランスらしいチョコレートだった。
しかし茄緒はまったく気づいていない。
もちろん敬司は教えるつもりもない。
「おれもそのチョコレート食べたい」
と笑っただけだった。
ミニエピソード 終わり
*『檸檬の黄昏』ボツカットを編集しました。
作者自身は気に入っている場面なのですが、使える場所がなく……(汗)。
こういう場面がどこかにあった、と軽くお読み頂ければ幸いです。
2020.6.6.掲載