千の夜と奇跡の欠片(ひのみ りん短編集)
怪奇苺奇譚 (寄贈話)


『怪奇苺奇譚』
(150+190作品)

○*:.。..。.。o○*:.。..。.。o○



「……総額にして百九十億円。あなたに相続があります」

テーブルを挟んだソファーにに腰掛けると男は言った。
年齢は一見、三十代後半くらいに見えるが、この落ち着きぶりは本当にそうだろうか?

整った端正な顔立ちの男は、名刺を差し出す。

『品川イチゴ法律事務所 弁護士 中居イクオ』

私は今、右手をケガして包帯を巻いているので左手でそれを受けとると名刺の名前と事務所を確認する。
視線だけを男に向けた。
仕立ての良いスーツの左上に弁護士バッジが付いている。

「驚かれるのも無理はありません」

ここは私、栄 明(さかえ あきら)のデザイン事務所だ。
独身、女。歳は今年で三十代が終る年齢、としておこう。

ガーデニング、インテリアデザイン、施工などを請け負う会社を経営しており、ありがたいことに食うに困らない程度に稼がせてもらっている。

ケガは施工中の現場で板から突出した釘に気づかず手を付き、掌を釘が突き抜けてしまったのた。
破傷風の予防接種を受けていて本当に良かった、と感謝している。

それはともかく巨額の遺産相続など青天の霹靂である。
明らかに動揺している私に中居イクオ弁護士は続けた。


「今から二十年前になりますが。あなたの弟ぎみは、あるご老人をお助けになられたことがありまして……」


◆◆◆

私には弟がいた。

両親にも可愛がられ何不自由なく育ったのだが、高校二年生の時にバイト先で不良仲間に誘われてから家を空けることが多くなった。

気に入らないと暴力、暴言を吐くようになり、ついには行方不明となった。
無論、警察にも捜索届けを出し家族で探したが見つからず、月日だけが流れた。
年老いた両親は弟に逢いたいと、うわ言のように呟き、この世を去った。


訊けば弟は道に迷って困っていた老人を道案内がてらに自分のバイクに乗せ、目的地へ送り届けたのだというう。
老人は礼をしようとしたが弟は受け取らず、名乗らないまま去ったそうだ。

その後、老人は弟を探しだした。

弟は反社会的勢力の一員となり、それなりの地位を築き病死した。

老人は遺産全てを弟に残し他界したのだが、仮に弟に相続できない場合、その肉親に渡すよう指示していたという。

「はあ。そうですか」

私は気のない返事をした。
信憑性にかけるし、にわかに信じがたい話だ。

「そう思われるのも、仕方がありません」

弁護士は予想していたようだ。

「とにかく一度、来て下さい。そうしなければご家族も納得されません」

当然、私は拒否した。
急な話を信じろという方が難しい。
権利を放棄するので親族で解決するように、で良いのではないか。

「いえ。だめです」

弁護士はにこやかな表情で、きっぱりと云った。

「その事も含め、話し合うよう依頼を受けております」

とにかく顔を出さないわけには、いかないようだ。
私は事務所で雇っている人間に急遽、某日に留守にすることを告げた。
遺産の話は伏せ、目的地を云うと若い女性スタッフが声をあげる。

「知ってます!湖で鬼火が出るとか、出ないとか。オカルトな噂がある場所ですよ」

湖で火の玉目撃情報があり、それ以来、肝試しやオカルトファンが集まっている場所らしい。
今回はそれは関係なさそうだが、何とも気が重い。

◆◆◆

後日、指定された場所へ私は赴いた。
自宅アパートから車で三時間ほどの場所である。

中居イクオ弁護士の車で、運転も彼だ。
私は後部座席に腰かけている。

なんと彼の本業はタクシードライバーだという。
それを皮切りに弁護士の資格をとり、遺産管理を行っているのだそうだ。

「門倉家専門ですけれどね」

傍ら作家活動もしており、車内には百文字原稿用紙に書かれた作品が置いてあった。
LINEオープンチャットの管理者でもあるという。
実に活動的な人物だ。

いつしか道路の両脇は建物は消え、拓けた土地に畑ばかりになった。
遠くに山があり、事務所の若手が云っていた湖も見える。

道中、彼は巨万の富を築き私に遺産を残したという、人物について教えくれた。

老人の名前は門倉 仁左衛門(かどくら にざえもん)といい、この辺り一帯の土地を先祖代々から引き継ぐ地主で、苺生産農家であったらしい。
広大な土地で季節の様々な作物を育て商売をしており、近年は農業だけに止まらず温泉を掘り温泉施設や旅館経営に着手し、成功させていたとか。

「羨ましい話ですね」

やがて目的地にたどり着き、駐車場に車を停め古い門構えを眺める。
書院造りの旧家で趣のある建築物だ。
中居弁護士が扉を開けようとしたが、鍵がかかっている。

「変ですね。勝手口から回ってみます」

中居弁護士は首を傾げ、建物の裏へと走って行く。

騙されたんじゃないだろうな。
私はため息をつき、何気なく道路を挟んだ向かい側のガラスハウスの並びに目を向ける。

これだけの数のガラスハウスを管理できる門倉家とは、何者なのだろう。
私が建設コストや維持費管理費などを邪推していると。

丁度その中から麦わら帽子を被った若い女性が出てきた。

首に巻いたタオルで額の汗を拭っている。
こちらに気付くと会釈をし、近づいてきた。

「こんにちは。お客さまですね。誰か呼んで来ましょうか」

麦わら帽子の下で、整った顔立ちの女が笑顔を見せた。
花や太陽が霞む眩い笑顔である。
年齢は二十代前半だろうか。

私は中居弁護士が鍵を開けに行った事を伝えると、頷いた。

「今日は忙しくなると、親族さまがおっしゃっていました。わたしも畑が忙しくて。休む時間もありません」

額に柔らかなブラウンの髪が汗で張り付いている。

「あ、じゃあ。すみません、お客さまに。わたしは鳥海 夕美子(とりうみ ゆみこ)です。何か用がありましたら、遠慮なくお申し付け下さい」
「ありがとうございます。私は栄 明(さかえ あきら)です」

◆◆◆

女性が再びガラスハウスの中へ戻った時。
玄関の引戸が開いた。

「栄さん!お待たせして申し訳ありません」

イクオ弁護士に促され、私は玄関に入る。
線香の匂いがした。

「申し訳ありません。今日は奧さまの様態があまり良くないということで。使用人も看病にあたっていたようです」

そんな事情は私の知ったことではない。
人を呼びつけておいて、それをないがしろにするとは無礼な輩だ。
それは音声にせず、はあ、とだけ返事をした。
イクオ弁護士はそんな心中を察していたのかは不明だが、にこやかに話す。

「ハウスに娘がいたでしょう?あの娘は両親に売られたのです」

両親は使用人だったが多額の借金があり、借金を無しにする代わりに娘を置いて出て行った。
それがあの娘、夕美子だそうだ。

「不憫ですね」

なんとも反応に困る話題だ。

妙な空気になることを楽しんでいるようなイクオ弁護士の後について中へ通されると、家具や調度品が目に入る。

十人掛けのテーブルセットに男女が二人ずつ席に着いていた。
私の姿を見るなり冷たい視線を向けてくる。

歓迎の雰囲気ではない。
余所者の、どこの犬かわからぬ人間に遺産が渡ろうとしているのだ。
気が気でないのだろう。

「栄女史がお見えになりました」

イクオ弁護士に伴われ室内に入る。


「遠い所、お呼び立てして申し訳ありません。私は門倉 嶺男(かどくら みねお)。仁左衛門の息子です」

年齢は五十代後半くらいの恰幅の良い男だった。
私は門倉嶺男の正面に重厚な木製のテーブルを挟んで椅子に座る。

「要件を伺いましょうか」

門倉の親族は口を開いた。
要約すると、

周知のように遺書には私の弟が記載されており、亡き場合には親族へということであったが、それが本当に弟であったのか決定的でないこと。

弟が反社会的勢力に関わっており、門倉家としても名前のため無関係でありたい。

私には遺産全額ではないが金は払うので、これで収めて欲しい、との事であった。

「あなたにとっても、悪い話ではないでしょう?」

私は門倉と親族に目を動かす。
完全に私を見下している。
提示された額は、五年は職無しで過ごしても豪華生活が送れそうな金額だ。

「なるほど。遺産相続者に指名された私の弟は、あなた方にとって害悪になる。そして私には手切れ金で済ませよう、というわけですね」

こうなるような予感はどこかでしていたので穏便に事が進めば、私もそれなりの対応で済ませるつもりでいた。
だが、どうも癪に触る。
今のこの連中は金に目が眩み、焦り理性を失っているのかもしれない。

「……わかりました」

親族の安堵したような、やり遂げた表情を浮かべている。
私は心の中でニヤリと笑う。

「遺産は相続します。ありがたく全てね。それを動物保護団体に寄付します……それでいいですよね?イクオ弁護士」

イクオ弁護士は頷いた。

「はい。問題ありません。手続きに入らせていただきます」
「……ばかな!」

親族のひとりが席を立ち、椅子が倒れた。
私は何事もなかったように続ける。

「これ以上の話し合いは無意味です。私は帰らせていただきます」

私も席を立ったのだが、イクオ弁護士が再び口を開く。

「お話は終わりましたが、もう夜は遅いですし。今日は屋敷でお泊まり下さい」

私は面食らい、イクオ弁護士を見た。
冗談じゃない。
だが彼は涼しい顔だ。

「念のため申し上げますが、もうバスもありません。タクシーも私だけです。駅までは……そうですね、徒歩二時間くらいでしょうか」

その位だったら歩いてでも行ってやるが、その先からは交通手段がない。

場所を変えて宿泊しようにも、それすらない。

私は従うしかなかった。

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