千の夜と奇跡の欠片(ひのみ りん短編集)

屋敷内にとどまっているのも息が詰まるので、眠たくなる寸前まで散歩することにした。

それと、どうもあの線香の匂いが合わないのか気分が悪い。
外の空気を求め私は外へ出た。

ガラスハウスは明かりがついており、中では昼間に見かけた女性の姿が見えた。

図々しくも中と農作業を見物させもらおうと、私は扉をノックし開けた。
ここでも微かに線香のような匂いがする。

「あら。あなたは……栄さん?どうしました、こんな時間に。ご気分が悪そうですが」

女性は私に気付き心配そうに覗き込む。

「大丈夫です。すみません。ここが気になっていたものですから」

これは本当である。
ハウス内部がどう施工されているのか気になっていた。
というのも夕美子のいたこのハウスだけ、何か違うのである。
見た目にはわからないが、温度管理の設備も他のハウスと違っていて厳重だ。

後半部分を省いて私は答えると夕美子は中を案内してくれた。
ハウス内には美しく瑞々しい、緑の株に赤い見事な苺が沢山ぶら下がっている。
夕美子は、ほぼ一人で苺を管理しているという。
イクオ弁護士も手伝っているそうだ。

「あの親族たちは?」
「あまりこちらにはいらっしゃいません。まあ、わたしたちの仕事ですから」

夕美子は笑顔で答え、ハウス内の苺を見渡した。

「おじいさま……門倉仁左衛門は植物が好きでした。その影響か、わたしも好きになって」

幼い頃からこの庭園に出入りし、世話をしてきたそうだ。
疑問が浮かぶ。

「あなたは相続人ではないの?」

少女は驚いたように首を横に振る。

「わたしは使用人の子供で、血縁者ではありません。おじいさまの遺産相続には無関係です」

夕美子は困ったように答える。

「そう……」
「でも、ここには、おじいさまから受け継いでいる大事な物があるんですよ」

夕美子はハウスの奥に置かれた鉢植えを見せてくれた。
ハウス内を占めている苺とは、また違う品種のようであるが、私には区別がつかない。
赤い果実の他にランナーという、子株が連なっている。

「食べてみて下さい。元気になりますよ」

私は一粒もぐと、それを眺めた。
やや小ぶりの真紅の果実からは甘い芳香が漂い、それを嗅いだだけで、気分が良くなったように感じる。

私はそれを食べた。
夕美子は期待しているような笑顔を笑顔を浮かべている。

「おいしい。すごく甘いし、歯触りもいい。高級品ね」

絶妙なバランスの素晴らしい美味しさだ。
食レポの才能がないので、ありきたりの感想で申し訳ないが、このような果実を食べたことがない。
あっという間に食べてしまった。

私の反応に夕美子は満足気だ。

「良かった。でも、これ売り物じゃないんですよ」

◆◆◆

この苺は夕美子の両親が偶然見つけた、珍種の苗だと云う。

「これは大変な物だと、おじいさまが大変な金額で買い取って下さったのです。でも、とても栽培が難しくて。おじいさまと一緒に方法を探して、わたしはそれを守っています」

私は首を傾げた。
先ほどのイクオ弁護士の話と違う。

「いえ。それも事実です。両親はいなくなってしまって。金だけ持って逃げたと。私は置いていかれてしまいました」

夕美子は悲しそうに目を反らせた。

「ここの苺畑は、わたしと両親、おじいさまを繋ぐ唯一の物でもあります。……あ、栄さん。苺を食べたら気分が良くなったでしょう?」

確かに。
先ほどまでの気分の悪さがない。
ふと自分の手に痛みがないことに気づき、包帯を外し驚いた。
傷がなくなっているのである。

「これは」
「この苺は不思議な効果があるんです」

門倉仁左衛門と夕美子は何とか株を増やし量産しようと試みたが、失敗を繰り返し成功して増えたのは、僅かに三株であるという。

「おじいさまは病気やケガの人を救えるかもしれないと、研究熱心でした。ここの温室がちょっと違うのは、この子のためなんです」

語る夕美子を見ていて、何となく事情が掴めてきた。
おそらく本当の相続人は……。

「どうやら私は、スケープゴートにされたみたい」
「……栄さん?」

その時だ。
ガラス温室の外が突然、オレンジの炎に包まれた。

「火事!?……え、どうして‼」

夕美子は株を抱きしめる。
火の手の回りが異常に早く入り口付近の燃え方が激しい。
何物かが可燃性の何かを撒いたに違いない。
ビニールハウスならば、ひょっとしたら逃げられたかもしれないが、ここは厳重なハウスだ。
それが仇となっている。

不完全燃焼の黒煙が中へ入ってきた。
視界は奪われ私は夕美子と地面に伏せる。
しかし夕美子は咳き込み、呼吸困難を起こしており失神寸前だ。

「どうしよう、苺……おじいさま。お父さん、お母さん……!」

夕美子は頼れる爺さんと、両親の残した株のために頑張ってきたのだ。
しかしついに夕美子の躯から力が抜けた。

「夕美子さん、夕美子さん!!」

奇跡の苺のおかげか私は咳き込むが気絶はしない。

その間にも炎が回り続け熱風と煙が襲いかかる。

「冗談じゃない、こんなところで」

訳のわからない遺産相続争いに巻き込まれたあげく、命を落とすなど、馬鹿げている。
だが逃げ道はなく万事休すだ。

さすがに苺の効力もここまでのようだ。
急激に意識が遠退き始めている。
手足に力が入らない。

黒煙と火の手が私と夕美子をつつもうとした、その時である。

私の躯が何者かに抱き抱えられた。

◆◆◆

それに抱えられたまま、私は外へ脱出した。

「ご無事でしたか、お二人とも?」

イクオ弁護士だった。
どうやら左右に夕美子と私を抱えて、温室の外へ連れ出したらしい。

夕美子は気絶したままだが呼吸はしている。
私は、とりあえずほっとした。
そこで怒りが湧きあがる。

「イクオ弁護士!礼は云いますが、これは……!」

私は怒りに任せ詰め寄った。
抵抗するつもりはないと両手を上げるイクオ弁護士の背後には、夜の黒い湖が月明かりの下、揺らいでいる。
私は見たのだ。
湖の上を二つの火の玉が、こちらに向かって来るのを。
それは私達を飛び越え屋敷の方角へ向かって行く。

屋敷に火が付き建物が燃え始めた。

私はそれを呆然と眺めていた。
火の玉だったが、あれは人間の頭だ。
年齢まではわからなかったが、確かに男女のそれだった。

煙と炎、ショックも重なり幻覚を見たのだろうか。

息を呑む私の靴に何かが挟まっていたのだが、その時はまだ気づかなかった。

結局、人死にこそ出なかったがハウスと屋敷は全焼してしまった。
警察による現場検証で、線香を使った簡単な時限発火装置のようなものが見つかったらしい。

犯人は無論、親族である。
私を殺して遺産を奪うつもりでいたようだ。

そしてこの事件で、とんでもない事実が発覚する。
実は大金を手にした夕美子の両親が殺害され、湖に遺棄されていたのだ。

死体からはリンという発火成分が出るが、それが湖の鬼火と関係があるのかは分からない。

あれは夕美子の両親だったのだろうか。
娘を置いて逃げたとの汚名までは見逃したが、殺めようとした行動は見過ごせなかったということだろうか……。

◆◆◆

時は流れて。
ハウスが消失し、あの奇跡の苺も失われたのかと思われたのだが、夕美子はあの苺を育てている。

私の靴に偶然、挟まっていたのは子株だったのだ。

「栄さんのおかげです。本当にありがとうございました」

夕美子は門倉から学んだ知識を存分に発揮し、その株を大切に育てている。

爺さんは本当の財産を隠す必要があった。
あの強欲な親族から守る必要があったのだ。
弟は都合よく利用され、私は巻き込まれたわけだ。

「あなたにだけ育て方を教えた。やはりあなたが、正統な遺産相続者だったのよね」

イクオ弁護士に目を向けると、人の良い笑顔を浮かべている。
とことん食えない人間である。

親族は爺さんの金と資産にだけ目がいっているようだが、それも作戦だったのだろう。

「ばかな連中ね。これがあれば、金など無限に手に入るというのに」

これは奇跡の植物。
あらゆる病気やケガを軽減させたり、治したりできる植物だ。

後日。
テレビでは門倉仁左衛門の後継者として、正式に夕美子が受け継いだ事が話題になっていた。

事務所には礼として、ドライ苺の菓子が届いた。

「いいなー!全部もらえるなんて」

ランチタイムの事務所ではワイドショーが流れ出おり、男女7人の若手スタッフが各自ランチを摂りつつデスクでため息を洩らしている。

「働かなくて……ううん、自分のブランド立ち上げて。超売れっ子になって、悠々自適に生活したいなー!」

節約のため手作り弁当を食べている二十代デザイナーたちが、妄想でうっとりとした表情を浮かべている。

「栄所長も事業拡大!そう思いますよね!」

ひとりの女子社員が背面ガラスの前の私のデスク方向を見る。
私は頷いた。

「そうね。ただ私は素直じゃないから。裏を疑うかな」
「うまい話には裏がある、ですか~?それはそれで、いいじゃないですか!手玉に取ってやりましょうよ」
「おお、やれやれ!それで、おれたちにも恩恵をわけてくれ」
「えーやだー」

私はそれらを眺め無言で席を立つと苺の菓子をひとつ失敬し、事務所の屋上に向かう。
三階建ての事務所屋上からみえる街並みは、今日も変わらない。

結局、全てあの男の掌の上で踊らされていただけのような気がする。

「まったく……」

私は夕美子がくれた、ドライ苺を取り出すと口に入れた。
甘い芳醇な香り、ほんのり酸味を感じる絶妙な味。
あの奇跡の苺ではないが十分に旨い。

事務所の人間が全てを知ったら、なぜどうしてと詰め寄られるかもしれない。
私は自虐体質なのかと。

だがそれでいい。

スマートフォンを繋ぐと記者会見を終えた夕美子から、
写真付きメッセージが届いていた。
イクオ弁護士も写っている。

私はそれに微笑し通信を切った。


イチゴとイクオに纏わる逸話を、これで終わりとする。



終わり

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