【完】ボクと風俗嬢と琴の音
「仕事でたまたま」
「え?」
「たまたま、あのマンションの前を通ったんだ。
そしたら冴えない顔をしたあの男がベランダでボーっと立っててな」
「ハル?まだあのマンションにいるの?」
「俺が知るか。
でもあんな大男を見間違えるとも思えんがな」
立ち上がってズボンの砂を払うと、ゆっくりとわたしへ手を伸ばして立ち上がらせてくれた。
それでも中々涙は止まってはくれなくて、呆れたように大きなため息を空気中に落とす。
そして、ぐいっとシャツの袖で涙を拭ってくれた。僅かに潮の香りが鼻先を掠めて、オレンジ色に染まった大輝は、今まで見た中で1番優しい顔をしていたと思う。
「お前に涙は似合わない。
俺が好きになった女は、そんな弱い女じゃない」
そう言ってぎゅっと手のひらに冷たい金属片を握らせた。
手の中を開けて見て見たら、それはあのマンションの鍵だった。
「捨てるわけないだろ。
お前も、簡単に捨てきれない気持ちをもっと大切にしてやれ」
「大輝……」
「送っていくよ。あのマンションに」
「大丈夫。
自分の足で行く。走ってでもなんでも…会いに行くよ…」
「とても、お前らしい」
大輝はまた目を線にして、優しい微笑みを投げかけた。