桜が散ったら、君に99回目のキスを。
その“もう一度”は案外早く叶うことになる。


実を言うとあの日から何度か、気が向いたら普通車両に足を向けるようになっていた。


いつものように窮屈な箱の中で息を潜めて約15分。


目の前の席に座るサラリーマンが立つ気配がしたので、半身になってドアまでの道を譲る。


その時、肩にかけたスクールバックが人に当たる鈍い感触がして、私は反射的に頭を下げた。


「すみませ…」


右手に持った文庫本から視線を上げるその顔を、私は忘れるはずがなかった。


どくん。


心臓が一際大きな音を立てる。


相馬くんの宵闇にも似た瞳が私の見開いた瞳を捉えて────その綺麗な形をした唇が僅かに開かれた。


私の見間違いでなければ、それは確かに見覚えのある人間を前にした時の反応で。


相馬くんは私に気がつくと軽く会釈をした。


私もつられて会釈で応える。


なんで今まで気づかなかったんだろう。


そう考えて合点がいった。


満員電車の中で隣なんてないも同然だ。


みんな揉まれて流されて、踏ん張ることで精一杯。


毎日同じ車両に乗っていれば顔見知りになることもあるけれど、残念ながら私は新参者だ。


周りを気にする余裕なんてない。
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