綾瀬くんは私が大嫌い
「え?夏樹ちゃん、引っ越すの?」
土曜日の昼間、春樹に用があって野口宅に行くと、何故か春樹はいないし、その兄の夏樹ちゃんが自分の荷物を段ボールに詰めていた。
腰を曲げて作業していたのがこたえたのか「いてて」 と呟きながら私の方を振り向く。
「あれ。亜子。」
「え?え?え?夏樹ちゃんどこに引っ越すの?」
慌てて駆け寄ると夏樹ちゃんは少し目をパチパチしたあと緩めて笑う。
「あぁ、隣の市だよ。俺も24だし実家暮らしじゃあちょっとあれでしょ。」
「そんな……」
咄嗟に段ボールに詰め込まれた荷物を放り出した。嫌だ。夏樹ちゃん引っ越してほしくない。
「ちょ、え?亜子やめて」
「嫌だ、行かないでほしい。」
「うぅん、…じゃあ遊びにおいでよ定期的に。」
「鍵ほしい」
上目遣いで彼を見つつ右手のひらを差し出す。言葉に詰まりながら右手のひらをじっくり見られた。しばらくフリーズした後、夏樹ちゃんは困った顔をして言う。
「亜子、あのね…そう言うのは亜子のママとパパが許さないし、世間も許さないよ。犯罪だよ。」
「はぁ?またそれ?なにが犯罪だよ、大袈裟な。」
「亜子が家を飛び出して勝手に家に来るようなことがあったら困るよ。今までここの家に来てたのとはまた違うんだよ。」
バレている。
家で嫌なことがあったときの逃げ道にしようとしていた事、完全にバレていた。
床の模様を視線でなぞりながら聞く。
「いつ引っ越しなの?」
「ゴールデンウィーク前」
「もうすぐじゃん」
なんで教えてくれなかったの?と責め立てると彼は鼻で小さくため息をつく。
「綾瀬が来たからここ最近は平気だと思ってた。」
変な音を立てて肺に空気が入った。
ドアの音がした。夏樹ちゃんの心のドアが閉まる音がした。足先から血の気が引いていくのが分かって、一気に体が冷えた。
「ただいまーっ。」