悪役令嬢はラスボスの密偵として学食で働くことになりました
 その小説に、まさにこのようなシーンがあったことを思い出す。

(船で見つめ合う二人。恋人たちには別れの瞬間が迫っていた。熱い眼差しに見つめられ、手を握り合う二人。そして二人の距離は縮まって……)

 リシャールは投げ出されていたカルミアの手を両手で包み、熱のこもった眼差しを向ける。

「カルミアさん。どうか私の……」

 熱く見つめられ、カルミアは緊張から動くことが出来なかった。
 何かを告げようとしているリシャールも同じなのか、表情が強張っている。彼も緊張しているのだろうか。

 思いつめたかのような深刻さから、知的な瞳に宿る熱。握られた手の力強さ。

 それが何を意味するのか。
 カルミアはある期待を胸に秘めながら次の言葉を待っていた。

 そして――

「私の密偵になって下さい!」

「なんっでだよ!!」

 突如物陰から現れ突っ込みを入れたのはリデロだった。
 いや、リデロだけではない。カルミアが振り返ると、リデロの背後には慌てて退散する多数の背中が見え隠れしている。どうやらリデロだけ置いていかれたらしい。
 ところで人間、自分以上に取り乱している相手を見ると冷静になれるようだ。カルミアは数秒前までの熱が急速に冷めていくのを感じていた。そして至極冷静に疑問を口にする。

「リデロ、それは私の台詞よ。そこで何をしているの?」

 カルミアは冷めた声で問い詰めていた。

「いやどう考えても告白シーンじゃないですか! そんなの気になるに決まって――じゃなかった。俺たちのお嬢に何かあったら旦那様に顔向け出来ませんので、勝手ながら見守らせていただきました! まあ結果として別のとんでもない告白現場だったわけですけど!」

 リデロは力強く答えるが、つまり覗きである。しかしカルミアは自分も同じような勘違いをしていただけに強く出られなかった。

(私もリデロと同じ勘違いをなんて、リシャールさんに申し訳ない!)

 しかしカルミアが反省している横では賑やかなやりとりが続いていた。
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