ボードウォークの恋人たち
「水音、俺の胸のポケットからカードキー出して」

ハルの声に顔を上げると視線で私の顔の横にあるポケットを示される。

カードキー?
顔を伏せていたせいでどこかわからなかったけれど、どうやらどこかの客室の前にいた。

「ここどこ」

「いいから早く出して」

返事をするつもりがなさそうなのでおとなしく従ってハルの左胸を探ってカードキーを取り出した。

「よっ」っとひと声出したハルは今度は私を立て抱きに変え、左手一つで私の全身を抱えると空いた右手で器用にカードキーを受け取り鍵を解除して部屋の中に進んでいった。
どう見てもホテルの客室。ちょっと広めのツインルーム。

「ハル」縦抱きにされたままの私は努めて普通の声を出す。

「なに」

「どうしてここに私の洋服と靴があるのかな」

部屋の中にはベッドが二つ。
問題はそのうちの一つの上に見覚えのある花柄のワンピース、足元には先週買ったばかりのお気に入りのパンプスが置かれていることだ。

どう考えてもおかしいでしょ。
私はここに来るのに自宅で着付けしてもらって振袖でやってきたのだ。着替えなど何も持たずに。
だからここに私の私服が置かれているはずがない。

ハルはソファーにそっと私を下ろし「着替えたら声かけて。俺、廊下で待ってるから」目も合わさないでそう言いさっさと出て行ってしまった。

なんだそれ。
「ハル!」
大声を上げても戻ってくる気配はない。

なんなのこれ。
下ろされたソファーに座ったまま腕を組んで考える。

一体どういう事だろう。
ここにハルがいる理由もここに連れて来られた理由もキスされた理由も私の着替えがある理由もわからない。

ああ、でもこの状況でもわかることが一つだけ。
私はさっき禁句を言ってハルを怒らせ嫌がらせに人前で抱きかかえられた。

『はげっ』これだ。

ハルにハゲは禁句だった。

彼の身内に一人だけ髪の寂しい方がいるのだと。
私の知っているハルの父親はふさふさだけど、彼が不安に感じるほど血の繋がりの近い方に寂しい方がいるんだろう。

気にすることないのに。髪が寂しくなってもハルはきっとイケメンのままだ、たぶん。

「冗談でも俺に”ハゲ”と言うな」
そう言ったのはもう10年以上も前の話なんだけど。
どうやらそれは現在進行形だったらしい、うん。
心配しなくていいふさふさ感だったと思うけど。
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