ボードウォークの恋人たち
「ケーキ持ってくれてありがとう。冷蔵庫に入れてくるからちょうだい?」
玄関を入っても靴を脱がず立ったままでいるハルに先に上がった私は声をかけケーキの入った箱を受け取るために手を伸ばす。
「ハル?」
なぜか俯いて動かないハルにしびれを切らして顔を覗きこんでみる。
「水音」
いきなり顔を上げたハルにケーキの箱を受け取ろうと伸ばしたままだった手を掴まれぐいと引っ張られた私には抵抗する術はなかった。
「えっ」
どんっと勢いよく私の身体はハルの胸に飛び込み、ケーキの箱がハルの手から離れて床に落ちてしまう。ぐちゃりと箱の中のものが崩れる嫌な音がした。
「水音、イヤな気持ちにさせて悪かった」
ケーキの存在を忘れたハルの両腕が私の背中に回され、ぎゅうぎゅうと締め付けてくる。
「・・・別にいつものことじゃない。気にしてない」
「そんなこと言うな。・・・お前の顔色変わってた。今だって表情ないし、真っ白だ」
真っ白?そんなことないはず。
「自分じゃ気が付かなかったけどわたしの顔色悪い?公園で一緒にちょっと眠ってたから風邪ひいたのかもだね。お風呂に入って温まってくるから放して」
ハルが何を言いたいのか何をしたいのか聞きたくないし、わかりたくもない。
嫌な気持ちになるなんて今更だ。
「水音の体温下がってる。悪寒はしないか?吐き気は?」
悪い顔色を体調不良だと信じたのかハルは右手で私の額、頬、首すじに触れながら心配そうな声を出す。
「大丈夫、自覚症状何もないもの。ハルに言われなきゃ何も気が付かなかったと思う」
だから放してと私の腰に巻き付いているハルの左手をはがして角の歪んだケーキの箱を拾い上げた。
「あーあ、せっかくの高級ケーキが。中を確認するのが怖いわ」
嘘くさい笑顔を張り付けて「冷蔵庫に入れたら先にお風呂に入るね」とハルが口を開く前にキッチンに逃げた。
ハルは何か言いたそうに口を開きかけていたけれど、聞かないようにして身を翻した。
箱の中の確認もせず冷蔵庫に押し込むとすぐにバスルームに飛び込んでいた。
ハルが何を考えて玄関でハグしてきたのかわからない。
ハルが思う私の”イヤな気持ち”って何だろう。私の顔色が変わるほどの”イヤな気持ち”って何だろう。
ーーー離れたい。
ハルに、ハルの周りにいる女性に、ハルを特別な目で見る女性にはもう振り回されたくない。
熱いシャワーを浴びているのにちっとも温まる気がしない。
鏡に映る私の顔は、ハルが言った通り酷い顔をしていた。