トワイライト(上)
切っ掛けは些細な拍子に起きて何気なく始まった。
老夫婦が真下に住む古びたアパートの一室で暮して早数年、両隣は既に引っ越して誰かが居住して来る気配が無いまま一年程が経つ。
仕事を終えて部屋に帰ろうとすると玄関先から出て来た老夫婦と鉢合わせをし、軽く挨拶をして階段に足を上げた所で声を掛けれられた。
折り入った話が有ると告げる老夫婦に招かれ、導かれるように足を進めて部屋の隅に座り込む。
自分の様子を眺めながら御主人がソファーに腰を下ろし、奥様が茶をテーブルに置きながら言った。
「ごめんなさいねぇ、こんな夜遅くに……」
「いえ、構いません……お話って何でしょうか」
そう口にして呼び止められた理由を思い浮かべる。
目の前に置かれたブルーハーブティを眺め、洒落た奥様だと目線を上げると御主人が口を開く。
「突然なんだが……此処を取り壊すことが決まってね……」
その言葉に飲みかけの茶を零しそうになり、慌てて口元を手で拭いながら問い掛ける。
「それって、此処を出て欲しいと言うこと、です……よね……」
尻すぼみに出ていく言葉に思い浮かべていた理由が真っ白になっていく。
「まぁ、そう言う事になるねぇ……
突然の事で申し訳ない、それで侘びと言っては何だが
知人の不動産屋に手配をしてあるから、近いうちに訊ねると良い」
最早その言葉に首を縦に振るしかなく、御主人が差し出した名刺を手に部屋を後にした。
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