Sweetな彼、Bitterな彼女
エピローグ

『A to _』シリーズは、残念ながら大賞を逃したが、金賞に選ばれた。

蒼には、公開プロポーズの件を含めて、インタビューや取材の依頼が殺到したものの、緑川くんが取材元を厳選し、場合によってはきっぱりお断りしてくれたおかげで、わたしたちは穏やかな日々を過ごせている。


*****


(あんまり、変わってない……)


車窓から見える風景は、思ったほど十五年前と変わっていなかった。

今日、わたしは蒼と二人で父親を訪ねるため、久しぶりに生まれ育った町に来ている。

現在の住まいからは、電車を使うと遠回りすることになるのでかなり距離を感じるけれど、車なら三十分もあれば着く。

父親には、電話で結婚の報告はしてあったが、蒼を会わせるのはもちろん初めてだ。

蒼のご両親が来週こちらへ来る予定なので、その時にわたしの父も含めてみんなで食事をすることになっていたのだが、どうしても先に会っておきたいと蒼が言い出した。

意外と古風なところのある蒼は、わたしの父親に挨拶もせずに入籍してしまったことが気になっているらしい。

まさか、「娘さんをください」なんて言うつもりではないだろうけれど……昨夜、書斎でこっそり挨拶の練習をしていたようだ。


(そんなに厳しい人じゃないんだけど……)


わたしの父親は、蒼に英国人の血が混じっていると知って、「やっぱり紅茶を用意したほうがいいだろうか?」と訊いてくる、いささか天然なところもある人だ。

一生結婚しないと思っていた娘が、無事相手を見つけて結婚し、孫まで生まれると知って、喜びこそすれ、怒ったりはしない。


「あっ! 紅、ごめん。竜に電話してもいい? ちょっと仕事のことで、伝えるの忘れてたことがあって。……もしもし、竜?」


よほど緊張しているのか、無言で車を運転していた蒼は、突然、コンビニの駐車場に車を停めて、緑川くんと話し出した。


「蒼。わたし、飲み物を買って来るね?」


同じ姿勢を取るのが辛いので、車を降りて、コンビニへ入る。

カフェインレスのお茶と蒼が気に入っているカフェオレを選び、なんとなくお菓子の並ぶ棚を眺めていたら、新製品のチョコレートが目についた。

蒼はまだ食べていないはずだ。

味が二種類あったので、二つともカゴに放り込む。

会計を終えて店を出ると、車にいるはずの蒼の姿が見当たらなくなっていた。


(え……どこに行ったの?)


「紅!」


押し殺した声で呼ばれて振り返る。


「ちょっとだけ、待って! すぐ終わるから」


蒼は、駐車場の隅で赤茶色の猫をスケッチしていた。

どこかの飼い猫らしく、真っ赤な首輪をしていて、ツンとした顔でそっぽを向いている。

蒼のことなど気にしていないというポーズを取っているが、長いしっぽはゆらゆらと揺れていて、小さな耳はぴんと立っていた。


(なんだか……前にもこんなことがあったような?)


ふと、春の夜に出会った、チョコレート好きな赤茶色の毛並みの子猫のことを思い出す。

目をきらきらさせながら、小さな口にチョコレートを詰め込む姿は、とてもかわいくて……。わたしの猫好きは、あの時始まった。


「うん、できた! もう、行っていいよ。バイバイ……お待たせ、紅」


蒼が立ち上がると同時に猫も立ち上がり、しなやかな足取りで狭い路地に消えた。


「新製品のチョコレートがあったから、買ったの。味見する?」


わたしが袋から取り出したチョコレートを見て、蒼はきらきらと目を輝かせる。


「もちろん!」


さっそく箱を開けて一粒口に放り込む。


「んー……」


ロリポップ並みの大きさがあるチョコレートで頬を膨らませる蒼は、本当に幸せそうだ。

その顔に、あの日の子猫の顔が重なった。


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