Sweetな彼、Bitterな彼女
「ねえ、蒼……昔、小学生くらいの頃……家出したこと、ある?」
蒼はきょとんとした顔をしたが、不自然なくらい視線をさまよわせ、やがて恥ずかしそうに認めた。
「……ある。バレンタインデーの日、学校でたくさんチョコレートを貰って……食べ過ぎて、夕飯を食べられなくて、父親にこっぴどく叱られて……家出した」
なんとも蒼らしい理由だった。
「最初は、冒険してるみたいで、意気揚々と歩いていたんだけど、気がついたら全然知らない場所にいて、帰ろうと思って歩き回っているうちに、本当に迷子になって……すっごく心細くなって、大後悔した。もう二度とチョコレートは食べないって思ったよ」
「でも……食べてるわよね?」
「うん。歩き疲れてコンビニの前でうずくまっていたら、中学生くらいの女の子が、チョコレートをくれたんだ。それがすっごく美味しくって。あのチョコレートをもう一度食べたくて、いろいろ試してるうちに……探すことより、食べることのほうが目的になったっていうか……。未だに、あの時のチョコレートは見つけられずにいる」
「チョコレート好きなのは、その子のせい?」
「そうじゃないけど……たぶん、あれが初恋かも」
恥ずかしそうに告白する蒼を見て、なんだかくすぐったい気持ちになる。
くすぐったくて……少しイジワルしてみたくなる。
「ふうん? 初恋なんだ?」
わたしの不満そうな声音を耳にして、蒼は慌てて言い訳を始めた。
「紅! もう十五年ちかく前、子どもの頃の話だよ! 名前も知らないし、好きって言うよりは憧れのようなもので……」
ずっと、猫を飼いたいと思っていた。
チョコレートのように甘く、優しい気持ちをくれるもの。
傍にいて、温もりを分け合うだけで満たされる。
そんな存在が、欲しいと思っていた。
叶うはずがないと諦めていたけれど……。
「あのね、蒼。あの日、わたしも家出中だったの。ちょうど、母親が不倫を認めた日で……言い争う両親の声を聞きたくなくて、家を抜け出してコンビニへ行ったの。そしたら……そこに、子猫がいた。紅茶色の髮の子猫」
「え?」
「チョコレートは好きになれなかったけど……猫を好きになったのは、その日から」
「……紅、だったの?」
蒼は、わたしの話を信じられないらしく、茫然としている。
「子猫は温かくて、かわいくて、優しい気持ちにしてくれた。あんな猫を飼いたいって、ずっと思っていたの」
まだぼうっとしている蒼の唇に、チョコレートを押し付ける。
我に返った様子で、蒼はわたしの指からチョコレートをくわえ、目を細めて美味しいそうに食べた。
「まだ……猫を飼いたい?」
「ううん……もう、飼ってるし。猫というよりは、犬に近いけど」
蒼はほんの少し眉をヒクつかせたものの、わたしを抱き寄せた。
周囲のことなど気にしない蒼の唇が、わたしの唇を掠める。
(……甘い)
「一生大事にしてくれる?」
「傍にいてくれるなら」
「いるよ。ずっと……一生、紅の傍にいる。紅が寂しくないように」