Sweetな彼、Bitterな彼女
Sweet version 2
細かい数字を追い続けるのに限界を感じ、時計を見る。
(もう、三時……)
またしても、お昼を食べ損ねた。
そして、今日も残業確定だ。
年度末決算を控えた下準備に追われる中、財務経理部の要である横田課長のヘルニアが悪化し、入院した。
上層部は慌てて後任を探したけれど、すぐに代わりが見つかるはずもなく。
既存のメンバーで何とかするしかなかった。
横田課長は、年度末決算が終わるまで手術を先延ばしにし、病床から指示をくれているが……わたしたち財務経理部所属の社員一同、過労死一歩手前の状態だ。
(最近、疲れが取れないのは、年のせいか……)
昔は、残業続きの平日でも、帰りがけに飲みに行く元気があったが、いまでは早く帰ってひたすら眠りたいと思う。
(無事、株主総会まで乗り切れたら、有給休暇を取って旅にでも出ようかな)
大学を卒業してからは、友人の結婚式以外で「旅行」らしきものをしたことすらない。
どこかの温泉宿で日がな一日、のんびりしたいと思いながら、ふらふらと喫煙ルームへ向かう。
その途中、廊下の向こうに紅茶色の髪を見つけ、足を止めた。
「紅! いまから休憩?」
満面の笑みで駆け寄って来た蒼は、わたしの腕を取り、たったいま通り過ぎて来た休憩室へ向かう。
「ちょうどコーヒー飲もうと思ってたんだ」
「え、いや、わたしは煙草を……」
あの社食での一件以来、どういうわけか、喫煙ルームへ向かう途中で蒼とバッタリ行き合うことが増えた。
しかも、出会ったが最後、わたしの貴重な喫煙タイムはこうしてジャックされる。
「紅、今日も社食にいなかった。昼抜きだったんだよね? 煙草より、栄養が必要」
じっと見つめられ、煙草を吸いに行きたいと言えずに頷いた。
蒼は、初めて喫煙ルームにいるわたしを目撃した翌日、社員食堂でCOPD(慢性閉塞性肺疾患)のために亡くなったという彼の祖父の話をした。
面と向かって「禁煙しろ」とは言わなかったけれど、その意図は明確だ。
わたしとしても、できれば煙草をやめたいと思っている。
が、三か月以上禁煙できたためしがない。
蒼は、日当たりのいい窓際の席に座るようわたしを促し、注文カウンターへ向かった。
KOKONOEの社屋五階にある休憩室は、美味しいコーヒーやクッキー、サンドイッチなどの軽食を楽しめるカフェテリアになっている。
社内の打ち合わせや商談で、くつろいだ雰囲気がほしいときにも使われるため、人の絶えない場所だ。
しかし、今日はわたしたちの他に誰もいなかった。
(もうすぐ、春か……)
窓から差し込む日差しに、春の柔らかさを感じる。
ぼうっとビルの向こうに見える淡い水色の空を眺めていると、ほんのりコーヒーの香りがした。
「ソイラテにしたよ」