Sweetな彼、Bitterな彼女
三月十四日、ホワイトデー。
社内のあちこちで義理チョコへのお返しが行われる中、社員食堂の一角には、女性社員が大勢詰めかけていた。
「さすが、蒼くん。サイン会みたいじゃない?」
女性社員が囲むテーブルには、ファミリーパックのクッキーを手にした蒼がいる。
バレンタインデーに貰ったチョコレートへのお返しをしているらしい。
ひとりひとりを訪ねて歩くより、効率的だとは思うが……あんなに貰っていたのだと思うと、なんだか釈然としない。
「紅も行けば? チョコあげたんだし」
「べつにお返しがほしくてあげたわけじゃないし。第一、クッキーもらっても嬉しくない」
「素直になりなさいよ」
脇腹をつつく詩子の手を払いのけ、食券機に社員証をかざし、力いっぱい「鶏のから揚げ定食」のボタンを押す。
「キスくらい、したんじゃないの?」
「…………」
キスは、した。
でも、あれ以来、蒼はわたしにキスするどころか、一切触れない。
白昼夢を見ていたのではないかと思うほど、何事も起きない。
(だからと言って、平穏な日々を取り戻せたわけではないけれど)
蒼は、事あるごとに、わたしの周囲に出没する。
社員食堂、廊下、喫煙ルームの前。
どこから情報を仕入れているのか、残業のない日は、エレベーターを降りると蒼がいる。
もちろん、駅まで付いてくる。
わたしが降りる駅まで。
改札で引き返すのは、それ以上付きまとえば「ストーカー」として訴える、とわたしが脅したからだ。
さりげなく、とか。
遠慮がちに、とか。
思わせぶりに、とか。
そんな言葉は、蒼の辞書に載っていない。
あまりにもあからさまに蒼がわたしを追い回すため、蒼狙いの女子社員たちからはやっかみ半分の陰口を頂戴し、詩子や財務経理部の同僚たちからは、生温かいまなざしを浴びせられている。
よその部署の課長や部長にまで、「黒田くんもいい年なんだから、もっと堅実な相手と落ち着いてはどうかね? なんならいい人を紹介しようか?」などと、アドバイスという名のセクハラを受けることも、しばしば。
周囲が訝しく思うのも、もっともだ。
蒼はいったい、わたしのどこを気に入ったのか。
わたし自身、さっぱりわからない。
年上で。
絶世の美女でもなければ、頭脳明晰な才女でもない。
女子力満載の癒し系キャラでもない。
そそられるような身体の持ち主でも、ない。
家事はそこそこできるけれど、自慢できるような料理の腕もなく。
人に言えるような趣味もなく。
ヘビー級ではないが、ミドル級のスモーカー。
才能豊かなイケメンデザイナーが惹かれる要素なんて、どこにもない。
(世の中には、モノ好きがいるとは知っているけれど……)
あからさまに寄せられる「好意」を「恋」だと思い込めるほど、単純にはなれなかった。
理性を失い、浮かれて舞い上がれば、落ちた時に痛い目を見る。