Sweetな彼、Bitterな彼女
Sweet version 3
(ダメだ……ぜんっぜん、集中できない……)
母親とディナーに行くという三橋係長から、「ごめん! 頼むね?」と二語で押し付けられた仕事を終えるべく、パソコンのディスプレイに表示される果てしない数字を目で追っているものの、先ほどから何度も同じ場所を見ている。
連日の残業で疲れが溜まっているせいもあるが、詩子に言われたことが頭を離れないせいだ。
(一夜の過ちなんて、犯したことがないんだけど)
酒豪の家系に生まれたため、行きずりの相手と一夜の過ちを犯せるほど酔ったことがない。
身体の関係から、付き合い始めたこともない。
だからと言って、するのが嫌いなわけでもないから、キスもセックスも、「彼氏」に求められれば拒みはしない。
ただ……自分から欲しいと思ったことは、なかった。
蒼のようには――。
柔らかそうな紅茶色の髪。
滑らかな頬。
甘い、唇。
蒼が傍にいると、手を伸ばして触れたくなる。
熱を感じたくなる。
必死に堪えているのは、その欲求に一度身を委ねたら、引き返せなくなる気がするからだ。
「紅! もう、終業時間過ぎてるよ」
「――っ!」
突然響いた声に驚いて、椅子から転げ落ちそうになった。
「帰る支度して?」
「し、仕事が……」
「誰もいないのに?」
「え」
気づけば、フロアに残っているのはわたし一人。
もしかしたら、「おつかれさま」と挨拶されていたのかもしれないが、まったく耳に入って来なかった。
「……そんなに、俺と会うのが嫌だった?」
あからさまに傷ついた表情をする蒼に、つい慌てる。
「そんなことは、ないっ! これは、三橋係長に頼まれて……」
「今日じゃなきゃ、間に合わない仕事?」
「そういうわけでは……」
実際のところ、猶予はまだある。三橋係長がわたしに投げたのは、提出期限が迫っているせいというよりは、面倒だからだ。
「……紅」
思うようにならない自分の気持ちにうんざりし、心の中で小さく溜息を吐く。
(ただ、ごはんを一緒に食べるだけじゃないの。意識しずぎ。蒼も、これで諦めるかもしれないし……)
わたしが避け続けているから、追いかけたくなるだけかもしれない。
どうせこのまま粘っていても、仕事は手につかないと諦めた。
「蒼……オフィス閉めるから、下で待ってて」