Sweetな彼、Bitterな彼女
「ねえ、紅。フレンチ好き?」
「え? うん」
「和食はいつも食べてるし、たまにはいいよね?」
「うん?」
蒼は、店を出るとなぜか店の近くにある高級ホテルへ入り、そのままエレベーターに乗り込んだ。
「蒼? どこへ行くの?」
「いいところ」
エレベーターが着いた先は、最上階のフレンチレストラン。
案内されたのは、夜景がよく見える窓際の席。
店内は、クラシック音楽と控えめな話し声の心地よい雑音で満たされている。
照明のせいか、向かい合って座る蒼の紅茶色の髪はチョコレート色に近く、彼自身いつもとは違って見えた。
(服のせい? それとも……蒼が大人っぽくなった?)
「紅、食前酒はシャンパンで、ワインは赤をボトルで頼んでもいい? すごく美味しいのがあるんだ。無理に、飲み切らなくてもいいから」
ぼうっと蒼に見惚れていたわたしは、ソムリエの説明をまったく聞いていなかった。
「蒼が決めて」
いろんな知人友人がいるからか、蒼はわたしより遥かにいろんなことを知っている。
せいぜい、発泡酒と生ビールの違いくらいにしかこだわりのないわたしには、ワインの良し悪しなんて、わからない。
「紅、どうかした? もしかして、俺に見惚れてた?」
にやりと笑う蒼に、頷く。
「うん。いい男だなぁって、見惚れてた」
「…………」
蒼はうっすら頬を赤くして、黙り込んだ。
「蒼? 照れるくらいなら、言わなければいいのに」
「紅が、いつもは言わないようなことを言うからだよ!」
「言わないだけで、いつも思ってる。こんな人が自分の彼氏だなんて、未だに信じられない。夢でも見てるんじゃないかって」
「…………」
付き合うようになって、今日でちょうど一年。
蒼は、わたしにとって、ひと言では言い表せない存在になっていた。
年下の友人。
ちょっと手のかかる弟。
まだまだ指導が必要な後輩。
大好きなデザイナー。
そして、恋人。
もしも蒼が忙しくなかったなら、適度な距離を保っていられたかどうか、わからない。
交友関係が広い蒼は、プライベートでの付き合いも多い。
平日の夜や週末に、友人の個展やイベントの手伝い、打ち上げなど、予定が入ることも珍しくなかった。
会いたくても会えない状況のおかげで、蒼との関係にのめり込まずに済んでいる。
けれど、この先ずっと、自制心を維持し続けられるかどうか。
自信は、ない。
小さな溜息を吐くと、不貞腐れてそっぽを向いていた蒼が、顔を赤くしたままちらりと視線を寄越す。
どんな時でも、目の前にあるものを「観察」せずにはいられないその様子に、つい笑いそうになり、慌てて咳払いする。
いろんな表情の蒼を見るのは楽しいけれど、せっかくの記念日を台無しにしたくない。