Sweetな彼、Bitterな彼女
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「おい、黒田。今日は、早く帰るって言ってなかったか?」
パソコンのディスプレイに映し出される数字を追っていたわたしは、雪柳課長の声でハッとした。
気がつけば、終業時間を一時間ほど過ぎている。
「えっ! もう、こんな時間っ!?」
蒼の誕生日でもある八月末日、カフェプロジェクトは大成功のうちに終了した。
それから一週間後の今夜、蒼と二人きりで誕生日を祝う約束をしていた。
(早く切り上げないと……でも……)
キリのいいところまで、終らせてしまいたいという気持ちが、パソコンの電源を落とすのをためらわせる。
そんなわたしの気持ちを見透かして、雪柳課長は横柄な口調で命令した。
「残業をクセにするな。さっさと帰れ」
「毎日残業している課長に言われたくないです」
「俺はいいんだよ。独り身だし、待っている相手もいないんだから」
そう言う雪柳課長は少し疲れた顔をしているが、かえってイケメンぶりが増している。
これで恋人がいないなんて、毎日夜遅くまで働く姿を見ていなければ、とても信じられない。
「優先順位をまちがえると、大事なものを失うぞ? 次の機会が必ずあると思うのは、傲慢だ。どんなに相手を思っていても、行動が伴わなければ意味がない」
やけに実感の籠った言葉に、ふと思う。
「もしかして……課長、恋人に逃げられたことがあるんですか?」
「逃げられたのは、恋人じゃなく妻だが」
「え」
雪柳課長は苦笑して、衝撃の発言をした。
「俺は、バツイチなんだよ。知らなかったのか?」
まったくの初耳だった。
「……はい。知りませんでした」
いままで、知らずに傷を抉るようなことを言っていたのではないかと青くなる。
「おまえは、社内の噂に無頓着だからな。まあ、だからこそ、白崎と付き合っていられるんだろうが……」
「あの、元奥様は……社内の人ではないですよね?」
「気になるか?」
「なります、けど……」
雪柳課長が結婚するくらいの相手だ。
それはそれは、ハイスペックな妻に違いない。
「じゃあ、教えない」
「はい?」
どういうつもりでそんなことを言ったのか訊きたくとも、雪柳課長の視線は、既に手元のノートパソコンへ向けられている。