Sweetな彼、Bitterな彼女
しかも、キーボードを叩きながら、雪柳課長はとんでもなく恥ずかしいことを言い出した。
「ところで……この週末だけじゃ、四か月分甘えるには足りなくないか? 溜まってる有休を使ったらどうだ? 一週間くらいは、おまえが不在でもなんとかなる。リゾートや温泉、近場の海外でもいいから、思う存分イチャついて来い」
「なっ……何を……セクハラで訴えますよっ!? 課長っ! 大体、甘えるなんて……わたしの方が年上なのに、そんなことできません」
「年上も年下も関係ないだろう? 好きな女に甘えられて、嬉しくない男はいない」
「そういうもの、ですか? 重いとか、感じません?」
ついそんなことを訊ねてしまったのは、いつもの雪柳課長らしくない発言に、調子が狂ったせいだ。
「重い? 白崎にそう言われたのか?」
ようやく視線を上げた雪柳課長が、凛々しい眉をひそめる。
「いえ、言われたわけではないですけど……」
恋に溺れないように。
ほどほどで止まっていられるように。
自分で自分に歯止めをかけているとは言えず、言葉を濁す。
「だったら、気にせず素直に本音を言えばいいだろ。我儘を言われるより、我慢していたと言われるほうが、キツイものだ。言われた時には、手遅れだからな」
「でも、仕事なら……」
「黒田。とにかく、一緒にいる時間を意識的に作るだけで、おまえの悩みの大半は解決できると思うぞ?」
「無理をしてまで、一緒にいる必要はないと思います。それに……仕事が忙しいのをわかっていながら、自分を優先してほしいとは言えないし、言いたくないです」
一緒に過ごす時間が増え、会えることに慣れてしまったら、会えないことを不満に思うようになる。必要のない感情を抱くことになる。
「大人なんだから、思うように会えないのは当たり前でしょう? それが不満なら、誰とも付き合えないですよ」
表情を強張らせるわたしに、雪柳課長は盛大な溜息を吐いた。
「誰に対しても、会えないことを不満に思うわけじゃないだろ? まったく……。おまえ、もっとあざとくなれよ? 不器用すぎて、つい手を貸したくなるだろうが」
(手を、貸す……?)
ふと、雪柳課長がわたしのコーヒーを飲み干したことを思い出した。
「課長、もしかしてあの時……」
「とにかく、いつまでもぐずぐずしていないで、行けっ!」
邪険な口調でも、そのまなざしは優しい。
「……ありがとうございます」
「礼はいらないぞ」
それは、「いる」という意味だ。
「日本酒でいいですか?」
部署内の飲み会の時も、残業帰りに一緒に食事をする時も、雪柳課長は日本酒一択だ。
「辛口。純米。大吟醸でなくても許す」
「了解です。それでは……お先に失礼します」
会釈して、オフィスを出ようとする背を呼び止められる。
「黒田」
「はい?」
振り返った先で、雪柳課長がにやりと笑った。
「忠犬によろしくな」