Sweetな彼、Bitterな彼女

「彼女さんも一緒にどうぞ!」


無理やり押し付けられたグラスを手に、曖昧な笑みを浮かべた時、真っ赤な顔をした酔っ払いの男性が立ち上がってグラスを掲げた。


「では、蒼の転職を祝して! カンパーイっ!」


(転、職……?)


茫然としている間に、勝手にグラスが向こうからやって来て、カチリカチリと音を立てて行く。


(転職って、どういうこと?)


友人たちに取り囲まれた蒼の表情は、窺えない。


「会社勤め、ご苦労さまっ!」

「ようこそ、こちらの世界へっ!」

「なあ、次の企画におまえも入れよ?」


わたしの知らない蒼の「これから」を語る人たちの声は、頭の中で反響し、雑音に変わる。

愛想笑いを浮かべたまま、ぐいっとグラスいっぱいの赤ワインを飲み干した。

当たり障りのない会話をしばし繰り広げたのち、空になったビールの缶やワインの瓶を片づけると見せかけて、中途半端に投げ出されていた食材を冷蔵庫へしまう。

誰もこちらのことを気にかけていないことを確かめてから、スマホと煙草を手にベランダへ出た。

さすがに、コートなしでは寒かったが、沸騰しそうな頭を冷やすにはちょうどいい。

ライターで煙草に火を点け、深々と吸い込む。

途端に咳き込むが、やめるつもりはない。

ここ最近は、ヘビースモーカーと言ってもいいほどに、吸う本数が増えていた。

一日でひと箱あけてしまうこともある。

そんな時はさすがに反省するけれど、趣味のないわたしの唯一の息抜きだから、やめられない。

咳き込みつつ一本吸い終えて、先ほどから引っ掛かっているものが何なのか、思い当たった。


(そっか。荷物と一緒に、捨てられるような気がしたんだ)


引っ越しに備えて荷物を整理するのと一緒に、自分も整理されるような気がしたのだ。


(転職するから、ついでに家も女も一新する……とか?)


そんな卑屈な思いを抱きかけ、自嘲しながら肩越しに明るい部屋を振り返った。

リビングは明るく、笑い声が窓越しに聞こえてくる。
クリエイティブな芸術談議にでも花を咲かせているのだろう。

蒼はその中心にいて、会社でも、わたしの前でも見せたことのない顔で、楽しそうに笑っている。



そこに――蒼の隣に、わたしの居場所はなかった。



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