Sweetな彼、Bitterな彼女

ミカと入れ違いにバスルームへ入り、鏡に映る自分の顔を見て苦笑した。


「……ひどい顔」


デザイナーである蒼の悩みを聞いても、わたしには理解してあげることも、慰めることも、的確なアドバイスをすることもできない。

転職の相談をされたところで、何の役にも立てなかっただろう。


(ううん、相談する必要もなかった……)


わたしの存在は、蒼の「これから」には含まれていないのだから。


雪柳課長が言ったように、新支店への異動は、蒼との関係に区切りをつけるいい機会だった。


軽く直す程度では埒が明かない化粧は、綺麗さっぱり落とし、一からやり直す。

詩子を多少待たせてしまうかもしれないが、みっともない姿で、ここから立ち去りたくなかった。

寝室に置いていたスーツを取りに行き、バスルームのドアに鍵をかける。

カットソーにジーンズという気の抜けた服は脱ぎ捨て、夜の十時にスーツを着たいと思う人間なんかいるはずがないと思いながら、再び窮屈な恰好へ戻る。

うなじで適当にまとめていた髪は、ブローし直す手間を惜しんで、夜会巻きにした。

ブラウスのボタンは仕事モードより一つ多く外し、甘ったるいチョコレートではない――蒼や彼女とはちがう香りを選ぶ。

フローラル・ムスク。マスカラばっちりのフルメイク。口紅は、赤。

女友だちと家の近所の居酒屋に飲みに行くのに、見栄を張るなんて馬鹿げている。

でも、いまはそのくだらないプライドが必要だった。

そうでなければ、酔っ払いどもの面前で、「転職するってどういうことよ?」と蒼に詰め寄ってしまいかねない。


(わたしは、大人の女。そう、大人のイイ女なのよ)


鏡の前で、精神統一。

一服したくなる気持ちをどうにか堪え、深呼吸して鞄を手にリビングへ向かう。

蒼の横には、寝たフリをしているミカがいた。

「フリ」だとわかったのは、わたしの気配を感じた途端に、蒼にしなだれかかったからだ。

こういうのを「あざとい」と言うのかもしれないが、わたしにはどう頑張ってもできそうにない芸当だ。


(無理ね)


雪柳課長のアドバイスは、一生活かせないかもしれない。

蒼は、ミカがしなだれかかっていても、いたって普通。
ワインを飲みながら、何かを描いている。

珍しいことに、服のようだ。


(ドレス……?)


才能豊かな蒼は、これから仕事の幅をどんどん広げるつもりだろう。
わたしにくれた蒼ブランドの試作品たちが、店頭に並ぶ日はそう遠くないかもしれない。

蒼がデザインしたと知らなくとも、目にしたら、きっと買ってしまう。

蒼が作ったものなら、わたしはきっと気に入ってしまう。

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