Sweetな彼、Bitterな彼女

(結婚……課長と?)


「…………」


頭が真っ白になり、絶句するわたしに、雪柳課長は苦笑した。


「返事は、いますぐでなくていい。まずは、上司ではなく一人の男として、意識してもらうところから始めなくてはならないからな」


「あ、の……」


一気に酔いが回ったのか、動悸が激しくなる。

雪柳課長は、わたしの動揺などおかまいなしに、さっさと会計を終え、「帰るぞ」と立ち上がった。

あたふたと後を付いて店を出ると、すっかりいつもの鬼課長に戻っていた。


「明日から、激務が待ってるからな。今夜だけは、ゆっくり休ませてやる」


(なんだ……さっきの発言は、冗談?)


自意識過剰な自分が恥ずかしい。


「引っ越しの準備があるんですから、残業はお断りです」

「ぜんぶやってもらうプランを頼めばいいと言っただろう?」

「人に触られたくないものだってあるんですっ!」

「プロだぞ。たとえゴミだって、丁寧にパッキングしてくれる」


言い合いながら、駅へ向かおうとした腕を掴まれた。


「おい、黒田。どこへ行く気だ? タクシーで帰れ」

「まだ十時前ですよ? 電車で帰ります」

「飲ませたのは俺だ。何かあったら、責任問題になるだろうが?」

「日本酒一合は、飲んだうちに入りませんから。それに、課長。セクハラですよ?」


掴まれた腕に視線を落とすと雪柳課長は苦々しい顔になり、手を放した。


「まったく……素直じゃないな」

「ご存知だと思っていましたけど?」

「そんな調子だから……」


呆れ顔の雪柳課長が、途中で言葉を切った。
その視線の先を追って振り返る。


「……蒼」


友人たちと飲んでいたのか、ちょうど数人の男女と共に店から出て来たところだった。
蒼の右腕には、見覚えのある女性が絡みついている。


「紅さんっ!」


わたしの名を叫んだ彼女は、優越感が透けて見える笑みを浮かべていた。
顔を上げた蒼が、目を見開く。


「こんばんは! 紅さんも近くで飲んでたんですね?」

「え……そう、だけど……」


後退りしかけたわたしの背を温かい手が支えた。


「黒田?」


雪柳課長の気遣うような声で、我に返ったわたしは、強張った顔に無理やり笑みを貼り付ける。


「今夜も、みんなで蒼の転職祝い?」

「そうなんです! あの、そちらの男性は、紅さんのお友だちですか? わたし、『MIKA』と言います。フリーで、インテリアコーディネーターをしています」

「友人ではなく、上司だよ」


雪柳課長は思わせぶりなことを言わず、きっぱりと否定した。
ミカは、「本当なのか?」と問うように、蒼を意味ありげな表情で見上げる。
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