Sweetな彼、Bitterな彼女
「わたし……蒼が好きなんです」
「知っている。むしろ、そうじゃないと言われたら、驚く」
「往生際が悪いってわかってても……やめられないんです」
「おまえは、頑固そうに見えて、意思が弱いからな。元旦に立てた禁煙の誓いを松の内も終わらないうちに破るのが、いい証拠だ」
「どうして知ってるんですか」
「やっぱりそうか」
カマをかけられただけだと知り、むっとする。
「しかたないじゃないですかっ! やめたいのに、やめられないんですから」
手のひらに爪を立てるように拳を握り、瞬きを堪えて前だけを見据える。
寄りかかるべきではない胸に、寄りかかりたくなかった。
人前で、上司の前で、恋人でもない男の前で、泣きたくなどなかった。
一度、それを自分に許したら、簡単に道を踏み外してしまう。
踏み外したら、二度と戻れない。
「黒田。恋愛の悩みや苦しみを忘れられる、特効薬を知ってるか?」
「そんな便利なものがあるなら、知りたいですよ。でも、次の恋だなんて言う気じゃないでしょうね? 課長。たとえ課長が相手でも、キレます」
しかし、そんな心配は無用だった。
雪柳課長は、どこまでも雪柳課長だった。
「……仕事だ」
「は?」
「仕事をしろ、仕事を! 余計なことを考えたくないときは、仕事をするのが一番だ。仕事に打ち込めば、評価も上がって給料も上がる。将来も安泰。一石二鳥だろう」
「……鬼ですね」
「俺は、離婚した時、そうやって乗り越えた」
「…………」
「ついては……新支店から、さっそく進捗状況を送ってもらった。おまえのアドレスにも送っておいたが、むこうへ行く前に片付けたほうがいい案件がいくつかある。まず、これだが……」
雪柳課長は、黙ってタクシーに乗っている時間がもったいないと思ったらしい。
新支店の本格稼働までのスケジュールや取りこぼしている案件について話し出し、容赦なくわたしの頭に詰め込んだ。
「あ、その先の信号を左で、コンビニの向かいで止めてください」
わたしの頭は飽和状態だったが、自宅マンションの前でタクシーを停めなくてはいけないことだけは、憶えていた。
「わたしの分です」
「いらない」
ここまでの運賃を支払おうとしたが、当然のごとく拒否され、黒い笑みを向けられる。
「もし、白崎がおまえと俺の浮気を疑うようなら、俺のところへ直接来いと言っておけ。ちゃんと説明してやる。だが……もしもおまえが、本気で白崎と終わりにしたいのなら、協力するぞ。きれいさっぱり別れられるように、一晩中、楽しませてもらったと言ってやる」
どうしてこんな腹黒鬼課長を好きになれば、幸せになれるなんて思ったのか。
酔っていたに違いない。
「……謹んで、お断りさせていただきます」
「利用できるものは、利用しろ。おまえは、真面目すぎるんだよ」
もっと、要領よくなりたいと思ったこともある。
でも、そうなれない自分のことも、よくわかっている。
「課長。わたしは、意思が弱いところがあるし、器用ではないのも自覚しています。でも、絶対にしないと決めていることが、一つだけあります」
「何だ?」
「浮気です」
「つまり、白崎と別れるまでは、俺とどうこうなるつもりはないということか」
「いいえ。別れるまでじゃありません。わたしが……蒼を忘れるまでは、ということです」