Sweetな彼、Bitterな彼女
確かに、雪柳課長に食事をおごってもらうことは、珍しくなかった。
年度末や四半期ごとの決算報告時期は、ほぼ毎日残業になるため、帰りがけにみんなでご飯を食べることもしばしばある。
とは言っても、おしゃれな店ではなく、立ち食い蕎麦や屋台のラーメン、牛丼屋などという色気もなにもない選択だ。
その時残業しているメンバーで誘い合って行くものの、家族との時間を優先したい人も少なくないため、わたし、課長、三橋さんの三人が、必然的に固定メンバーとなっていた。
三橋さんが、母親とデートの時は課長と二人きりだったこともあるが、数えるほどだ。
「財務経理部は、ガッチリ相手を確保している女性社員ばかりだから、えげつない女の戦いを知らないんだろうけど……。雪柳課長は結婚したい男ナンバーワンなのよ? 紅にその気はなくても、年下のイケメン彼氏と年上のセクシー上司を天秤にかけている女に見えるの」
自覚はまるでなかったけれど、客観的に見ればそういうことになるのかもしれない。
「わたし、よく無事だったな……」
「あの雪柳課長と毎日接していて、ほんの少しも惹かれないなんて、紅はどうかしてるわよ」
「どうかしてるって言われても……上司をそういう対象で見るなんて、あり得ない」
「雪柳課長の距離の取り方は、元営業だけあって絶妙だから、鈍い紅が気づかないのもわかるけど……課長もとうとう本気を出したんなら、異動はちょうどいいきっかけになるんじゃない? 乗り換えるのに」
「は? 乗り換える?」
「まったく考えられないの? だったら、きっぱり断ったんでしょうね?」
「それは……」
雪柳課長には、蒼のことを忘れるまでは考えられないと言った。
自分では断ったつもりだったが、よくよく考えれば、返事を先延ばしにしただけだ。
「はっきり返事をしていないなら、これからじっくり考えてみれば? 結婚するなら、雪柳課長のほうが断然いいってことは、火を見るよりも明らかでしょ。出世が約束されていて、包容力もたっぷりある。しかも、仕事モードの紅も、ゲイジュツカの彼氏に振り回されてグダグダの紅も、知っている。そんな条件のいい相手が、ほかに見つかるとは思えないわ」
詩子の変わり身の早さには、驚かされる。
つい先日まで、蒼と別れることを反対していたはずなのに。
「そうだとしても、蒼との関係が、はっきりしないうちは考えられない」
詩子は、コロッケに箸を突き立て、主張する。
「紅。結婚も婚約もしていないんだから、フェードアウトしつつ、次の恋を始めるのは犯罪でもなんでもないわよ! むしろ、ダメになった恋にいつまでもしがみつくほうが、よろしくない。好きなんじゃなくて、ただの未練や執着かもしれないんだから」