Sweetな彼、Bitterな彼女
大きく見開かれたチョコレート色の瞳の奥。
一瞬の揺らぎに気づいてしまう自分に、苦い笑いが込み上げる。
怒りは、湧いてこなかった。
ただ、胸が痛かった。
わたしには、浮気を責める資格はない。
蒼のまっすぐな気持ちに、きちんと向き合おうとしなかったのは、わたしだ。
「紅……」
「ごめん、変なこと訊いて。そうだったとしても、責めるつもりはないから」
蒼の手を引き剥がし、ブラウスのボタンを留め直す。
立ち上がってスカートの裾を引き下ろす。
乱れた髪をひとつに束ね、ジャケットの襟を正し、鞄に散らばった中身を放り込めば、立ち去る準備は整った。
足元がおぼつかないけれど、歩けないほどではない。
玄関に転がるハイヒールを拾い上げ、ドアノブに手をかけたとき、小さな声がした。
「紅」
振り返れば、俯く蒼がいた。
プロポーズの件を無視して、雪柳課長と「何もなかった」と言うのは、フェアではない気がした。
「わたし……雪柳課長にプロポーズされたの」
ハッとしたように顔を上げた蒼は、見るからに青ざめていた。
「……結婚、するの?」
「これから考える。いままで、課長のことを男として見たことがなかったから」
蒼はわたしに手を伸ばしかけ、それを堪えるようにぐっと拳を握りしめた。
「…………」
唇を引き結ぶ蒼にキスしたかった。
蒼が好きだった。
ひどい扱いをされても。
わたしではない、別の女と寝たと知っても。
「……おやすみ、蒼」
この期に及んでも、別れの言葉を言えないくらい、蒼が好きだった。