Sweetな彼、Bitterな彼女
電話の向こうから聞こえた声に、周囲の雑音が一瞬でかき消された。
「…………」
口を開いたものの、声がでない。
『いま、どこにいるの?』
大きなスクリーンに映し出されたサッカーの試合で、オウンゴールが決まる瞬間を見ながら、「皮肉だな」と思った。
電話も、メールも、SNSも。
今日が終われば、彼と繋がる手段を全て断ち切るつもりだった。
蒼との繋がりは、今日を最後に消えるはずだった。
(このタイミングで架けてくるなんて……)
思えば、蒼はいつも絶妙なタイミングでわたしの心を揺さぶってきた。
出会いの時も。
別れの時も。
そして、いまこの時も。
しかし……いくら揺さぶられたとしても、彼とわたしとの間には、千キロ弱の物理的な距離がある。いまさら、顔を合わせるようなことにはならない。
気を取り直し、逆に問い返した。
「どこにいると思う?」
『いまは、ふざけたい気分じゃないっ!』
滅多に声を荒らげたことのない蒼が、電話口で叫んだ。
「蒼こそ、どこにいるの?」
『紅が住んでたマンションだよ。それで、どこにいるの? 会社?』
「本社にはいない。異動になったの」
はっと息を呑む音が聞こえた。
『……いつ?』
「二月」
『二月っ!? なんで黙ってっ……どうしてっ』
「わたしは蒼にとって、なくなっても二か月以上気づかない存在だからよ」
『…………』
緑川くんから送られてくる写真で見る蒼は、わたしが見たいと思っていた蒼だった。
いつも生き生きとしていて、魅力的な笑顔を振りまいていて、優しくて柔らかいチョコレート色の瞳を輝かせている――出会った頃のような、蒼だった。
わたしがいなくても、蒼は前を向いて進んでいる。
「本当は、二月のあの夜に、ちゃんと終わりにすべきだった。先延ばしにして……ごめんね」
『俺は……別れたいなんて言ってない』
「いまの蒼に、わたしは必要ないでしょう? 付き合い続ける意味はない」
『……紅は、どうなの? 紅は、俺のこと必要じゃないの? 俺のこと、好きじゃないの?』
「…………」
わからなかった。
蒼のことを忘れられてはいないけれど、いまの気持ちを「好き」と言えるのかわからない。
未練や執着ではないとは、言いきれない。
スクリーン上に示されたロスタイムは、残り三十秒。
『もういい…………』