"さよなら"には早すぎて、"はじめまして"には遅すぎる
「しまった」とか「そうだった」とでも言い出しそうな表情になる。

出会ってからたった数時間のことだが、全て表情に出てしまう琴音が悪い人には見えない。

正直すぎる彼女がおかしくて笑いを堪えようとするが、無理だった。


「冗談ですよ。安否確認じゃないですか。おまけに差し入れまでしてくれて」

「そ、そうだよね!安否確認だよね〜」

あからさまにホッとする琴音に思わずニヤッと微笑み、「でも、不法侵入はダメですよ」というと、シュンと肩を落として「その通りです」と小さな返答が返ってきた。


「悪い人だっていますからね」

「おっしゃる通りでございます」


自分で言った言葉なのに、ほとんど琴音にも当てはまる。

琴音は大袈裟なくらいがっくりと項垂れて、それからチラッと上目遣いに俺を見る。

色素の薄い瞳が細められるとすぐに肩を揺らして笑うので、俺もつられて笑った。


一頻り笑い、「身の安全のためにも互いに気をつけようね」と、言われてしっかりと頷き返した。

残っていたグラスの中身を一気に飲み干すと、琴音は立ち上がった。


「じゃあ、そろそろ帰ろうかな。越してくるのは明日だよね?」

「はい。明日改めてご挨拶に」「いいよ〜。そんな堅苦しいのは!手伝えることがあったら遠慮せずに言ってね」

「ありがとうございます!」

「じゃあ、また明日」


夕日をバックに手を振り、琴音は去っていった。

いちいち映画のワンシーンのような女性だ。


「玄関まで送ればよかった」


いや、家の前まで送るべきだった。
気づくのが遅すぎた。


本日何度目か深くため息を吐いて、手の中のグラスに気づく。琴音がさっきまで座っていたところにはピッチャーもあった。


忘れたのか、それとも置いていってくれたのか。

どちらとも判断がつかず、改めてお礼を言う口実を手に入れたということにした。

答えは前者だった。

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