"さよなら"には早すぎて、"はじめまして"には遅すぎる
「やっば、走らねーと!」
戸締りをし、坂を駆け出す。
遠くに見える海はキラキラと輝き、今日も潮の匂いに満ちている。
下り坂で良かったと心底思いながら坂を下るその途中、前方から紺色の質の良さそうなスーツに身を包み、黒いハイヒールをカツコツと鳴らしながら女性が坂を上っているのが見えた。
見たことがない人だな。
というよりも、平家は例外としてここら辺一帯は住宅街で、昼間に見かけるのは小さな子供やその母親、平松のようなマダムたちだ。
スーツに身を包んだ女性は中々見かけない。
いかにもOLというようなきっちりとしたスーツというよりも上品ながらオシャレで大学生の、それも男でもわかる質の良いスーツ。
この辺りは案外、高級住宅が多いので居てもおかしくはないがどちらかといえば平松のような主婦がのんびり暮らすイメージなので彼女のような人は見たことがない。
マダムというよりも…なんて言うんだっけ、こういうの。出来る女、みたいな。
モヤモヤとしながらその女性の横を通り過ぎる。
近くで見たその女性はとても美人で、フワリと香ったのは潮の匂いではなく、香水の甘い匂いだった。
甘い匂いと言っても香水臭いわけではなく、程よく甘くいい匂い。
美人は匂いまで出来る女なのか、なんておかしなことを考えつつ駅へと向かった。