"さよなら"には早すぎて、"はじめまして"には遅すぎる

マルちゃんとだけの生活は彼女にとって楽園そのものだったし、マルちゃんを育てる上でも全てが揃った環境だったので文句はなかった。

もし離婚を言い渡されてしまえば、働いていない平松は実家に頼るしか方法がないがそれはギリギリまで避けたいところだった。

だから彼女はマルちゃんと平穏に過ごすためなら、平松家から忘れ去られた嫁として過ごすのも苦ではなかった。

けれど、マルちゃんは先に天国へ行ってしまった。

それを旦那に伝えたら「そうか」とだけ言われ、全て一人で手続きをし、一人でマルちゃんが灰になるのを待った。

さっきまで形があったものを見送るのを一人で。

「あの時はそれどころじゃなかったからどうでも良かったんだけど、今はもうただただハラワタが煮え繰り返るの。私にとってマルちゃんは子供だった。でもあの人にとってはそうではなくて、しかも彼には別に子供もいる。私の悲しみなんてちっとも分からないんだって思ったら、吹っ切れてしまった」

だからもうあの家に未練はないと言い切る彼女は服の中から筒状の銀のカプセルのようなチャームがついたネックレスを出して見せてくれた。

その中にはマルちゃんの遺骨が入っているらしい。


「これであの子とずっと一緒だからこの町でマルちゃんの面影を探す必要もないし、今ならどこだって行ける気がするのよ。だから離婚届だけ置いて、さっさとこの町を出るわ」

ついでに慰謝料もぶんどってやる!と意気込む彼女は逞しい。


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