那須大八郎~椎葉の『鶴富姫伝説』~
水流たち行商人は京の織物・反物や装飾品を 鎌倉や地方に持って行きその土地の特産品を持ち帰って売るのが生業だ。これが表の生業ならば裏の生業もあった。朝廷や貴族、各地の郎党の動向等の消息を頼朝と北条家に報せるのである。品物と違い消息は形がないのでかさばらない。確実な消息は付加価値も高く水流たちは鎌倉からそれに値する十分な報酬を得ていた。鎌倉と水流一行には源平争乱から培われてきた信頼関係があるからこそこの商いが成り立つ。
一行の重要な消息の一つは平家の残党の確認だ。平清盛が頼朝と義経に温情を測ったばかりにそれは平家滅亡の大きな要因となった。頼朝と北条家はその事を恐れた。水流たちは平家の残党が多いと言われる九州の西側へ商いに出かけた時には 肥後国五家荘の平家の残党の消息を集めた。
そうしていくうちに 九州の東側の消息が舞い込んできた。日向国の椎葉という場所に 平家の残党が生活している。ここはどうやら豊後の緒方惟義が絡んでいると言うのである 。緒方惟義は夫の頼朝よりも義弟の義経と親しかった。頼朝と義経が仲違えした際、 九州への逃避行の手助けをしたのは惟義だ。
平家の残党だけならばさほど恐れることはなかった政子も惟義が絡むとなると話は変わってくる。
一行の重要な消息の一つは平家の残党の確認だ。平清盛が頼朝と義経に温情を測ったばかりにそれは平家滅亡の大きな要因となった。頼朝と北条家はその事を恐れた。水流たちは平家の残党が多いと言われる九州の西側へ商いに出かけた時には 肥後国五家荘の平家の残党の消息を集めた。
そうしていくうちに 九州の東側の消息が舞い込んできた。日向国の椎葉という場所に 平家の残党が生活している。ここはどうやら豊後の緒方惟義が絡んでいると言うのである 。緒方惟義は夫の頼朝よりも義弟の義経と親しかった。頼朝と義経が仲違えした際、 九州への逃避行の手助けをしたのは惟義だ。
平家の残党だけならばさほど恐れることはなかった政子も惟義が絡むとなると話は変わってくる。