花風
「あ、あの……真野ミツキさんの彼氏さんですか?」

自分の言葉に眉を潜め、目の前の男性は言う。

「いや、俺が真野ミツキだけど……
いつ契約した?内見とかした?」

押し付けるような質問に身を固め、思い出しながら返す。

「契約は……一昨日しました……」

その言葉に眉間の皺が更に深まるのを目にし、恐る恐る続ける。

「な……内見は、お爺さんが足が悪いって言うので……時間も無くて……」

尻すぼみになる言葉に大きな溜息が重なった。

次第に訪れる嫌な空気に耐えられず、慌てて言葉を投げる。

「あ……えっと……し、失礼します!!」

そう口にするや否や飲みかけの紅茶をシンクの中へ置き、足早に自室へ駆け込んで息を整える。

『嘘……でしょ……』

浮かんだ言葉を頭で繰り返しながら仕舞った筈の契約書を探す。

混乱する思考と覚束無い手でチェストや段ボールを漁り、挙句にはベッドの下まで覗き込んで我に返る。

曖昧な記憶の中で辿った小さい書類入れに手を掛け、静かに開けて覗いた茶封筒を取り出して見た。

読み難い漢字の羅列に堅苦しい文面、目が滑りそうな書類に指を落として必死に追う。

〔半年以内に契約解除をする場合、違約金が発生します〕

その文字に一気に脱力し、僅かに残った思考でベッドに身体を放り投げた。

最早、これまでか。

明らかに女性に囃し立てられそうな面持ち。

少し焼けた滑らかそうな肌、金糸のように細くて短い髪の毛、綺麗に整えられた口髭が印象的な人。

怪訝そうな顔が目に浮かぶ。

多分、自分も同じ顔をしていた。

慌てて取り繕っては見たけれど、第一印象は最悪だったかもしれない。


結局、薄れて行く思考の片隅で描いてしまい、悪足掻きをして眠りに就き、迎えた朝は眩しい日差しで少し頭が病んだ。

重い身体で自室を抜け出し、今にも閉じそうな瞼で瞬きを繰り返す。

ソファーの背もたれから覗く触り心地の良さそうな姿、茶色のフェイクファーの生地に丸みを帯びた耳が特徴的な動物が佇んでいる。

『ここは夢の国だろうか……』

そんな事を思い浮かべた瞬間だった。
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