前略、結婚してください~過保護な外科医にいきなりお嫁入り~
 なにげなく口にされたひとことが、胸にちくりと刺さる。大丈夫だよ、と即座に言い返せない自分が嫌だ。

 自分の部屋に入って力無くバッグを置くと、棚の引き出しから茶封筒を手に取り、さらに中に入れたままの婚姻届を取り出した。

 ベッドに座り、先生の綺麗な字をなんとなく眺めながら、今日一日の出来事を思い返す。

 先生、アンニュイさは健在だったけど、常に私を気にかけて楽しませてくれていたな。歩幅の狭い私にペースを合わせて歩き、けれど食事の会計や映画のチケットを買うときは先に出て、デートが初めての私をリードしていた。

 手に触れてしまったときも、まったく嫌な顔をせず包み込んでくれたし……。

 右手を見るだけで蘇ってくる。優しいぬくもりを持った、たくさんの命を救う頼もしい手の感覚が。


「……そばにいたい」


 心の声が自然にぽつりとこぼれた。

 結局、私の中で最も強いのはその気持ちなのだ。結婚して一生一緒にいられる年月からすれば、離れている時間はきっとたいしたことない。

 そうできるチャンスを簡単に捨てたりなどできないし、もっと自分に自信を持って一番近くで彼を支えられる人になりたい。

 想いを再確認し、右手をぎゅっと握る。そして婚姻届をテーブルに広げ、ペンを持った。

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