恋人のフリはもう嫌です
口数少なく歩き、社用車に乗り込んだ。
会社を出て、信号待ちをしたタイミングで彼はため息をついて私の頭に手を置いた。
「千穂ちゃんには、嫌な思いばかりさせているね」
「いえ」
彼の気遣いに、短く返した。
私は、自分自身が情けなかった。
「体調が良くなさそうだ。向こうに着くまで眠っていて」
「そんなわけには」
「今の状況で最大級のパフォーマンスで臨めるのなら、なにも言わない」
グッと押し黙ると、彼が申し訳なさそうに口を開いた。
「悪戯が過ぎたね。俺のせいで眠れなかったのなら、嬉しいと思う俺は、酷い男かな」
『唇を動かす度に』
そう言われた言葉は、呪いのように私を苦しめた。
なにかの拍子に、彼との情事が鮮明に蘇った。
彼の触れた刺激に、彼の息遣い。
彼の唇が、私の唇にもたらした変化。