恋人のフリはもう嫌です

 彼を最初に知ったのは、実際は知らなかっただけで入社するよりも前だった。
 名前は知らない、ただ見かけるだけの存在として。

 私の祖母がお世話になっている介護施設に、ボランティアとして来ている彼を度々目撃していた。

 私は祖母伝えに、彼がどれほど誠実で優しい人なのかを聞いていた。 

 直接話す機会はなく、遠くから見かける程度の間柄。
 それでも祖母から聞く彼の素敵な人柄に、いつしか彼を見かけるだけでドキドキするようになり、恋心を抱くようになった。

 それがまさかこんな風にこんがらがった関係になるとは、夢にも思わなかった。
 同じ会社だとも知らず、よもや噂の西山さんが彼だとは想像もしなかった。

「どうした?」

 西山さんに声をかけられ、現実へと引き戻される。

「すみません。ぼんやりしてしまって」

「コーヒー買って戻ろうか」

 結局お目当てのコーヒーを買い、車に戻る。
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