恋人のフリはもう嫌です

「では、ありがとうございました。いいお返事が聞けると、期待しています」

 荒井課長が先にブースを出ると、続けて出ようとしていた久保さんが振り返った。

 どう考えてもパーソナルスペースを侵害する距離まで近づき、西山さんの胸ポケットになにか紙を差し入れた。
 そして彼の胸に手を押し当て、確かに「会いたかった。透哉」と囁いた声が聞こえた。

 脚がその場に根を張ったように動けなくなり、呆然としていると、「藤井。行くぞ」と声をかけられ、反射的に体を動かした。

 藤井。
 そうだよ。私は藤井だ。

 西山さんが社外で『千穂ちゃん』だなんて呼ぶような、社会人にあるまじき行為をする人でなくて良かった。

 そう思うのに、心は晴れない。

 社用車に乗り込むと、西山さんのため息が聞こえた。
 こっちがため息をつきたいと、不貞腐れた思いでいると、隣の席からビリビリと紙を破く音がして、目を丸くする。

 破いているのは、胸元に入れられた彼女からのなにかの紙。
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