極上御曹司は失恋OLを新妻に所望する
「ああ、ごめんなさい。お客様の前なのにそんな呼び方をしたら代表に失礼でしたね。忘れてください」
伊月のことを『あのひと』と呼んだのは、たぶんわざとだ。
暗に、私はただの〝お客様〟で、自分はそれ以上の関係にあるということが言いたいんだろう。
親しいと言いたいのかもしれない。
言い方が引っ掛かるというのはある。
でも……考えてみたら、この女性の言う通りかもしれない。思い上がっていた節があったのはたしかだ。
私は、伊月に連絡が取れればこの事態もどうにかなると考えていた。
それは、伊月が当たり前のように、この突然の訪問を笑顔で受け入れてくれると思っていたから。
でも、そんなわけはなかったんだと今気づく。
こんな大きな会社のCEOを務めている伊月と、私の家にふらっと立ち寄る伊月は別の顔で当然で……私は、会社にいる伊月は知らない。
伊月がここで、どんな仕事をしているのか、どんな顔で会議に出ているのか、デスクはどこなのか……なにも知らない。
私の家での伊月しか知らない。
伊月が私に見せていたのは、きっとほんのひとかけらでしかなくて、それを思い知った気分だった。
私に見せていた顔がすべてじゃない。私と伊月の間には、きっとこの大きな建物くらいの壁がある。
自分自身に呆れて笑みがこぼれそうだった。
私は、手を伸ばせば当然のように伊月も手を差し伸べてくれると思っていたけれど、そんなの勘違いだ。
手を伸ばすことさえ許されない相手だったんだと、今更気づき……同時に痛んだ胸に、いつの間にか生まれていた恋心を知った。
「もう来ないでくださいね」
にこっと微笑んだ女性に、なにも返すことができなかった。