極上御曹司は失恋OLを新妻に所望する
「涙ひとつで放っておけなくなるとか優しいこと言ってると、騙されるよ。女の涙なんて、嘘の場合だってたくさん――」
影が落ちた気がする……と思った直後だった。
視線を上げるより先に、目の前が暗くなり唇になにかが押し当てられる。
普通なら、キスだってすぐ判断できるのにそれができなかったのは、TPOが頭にあったからだ。
だってここはバーのカウンター席で、少ないけどお客さんだっているし、マスターなんてほんの数メートルの場所に立っている。
そんな場所で、しかも出逢って二日の男にキスされるなんて誰が思うだろう。
信じられない出来事が起こり、ただ呆然とすることしかできずにいる私から唇を離した伊月は、まじまじとこちらを見てから「へぇ」と笑った。
「泣いてる女にキスすると泣き止むって話、本当だったんだな」
瞳を横にずらすと、マスターが驚いた顔を向けているのが確認できた。
なにが起こったんだか、理解しきれていないって顔だ。
きっと、今、私も同じ表情をしているんだろうと呆然と思いながら、視線を伊月に戻した。
「え、待って。今の……」
私の、パチパチと目をしばたたかせながらの言葉を遮り、伊月が言う。
「別に、優しくしてるつもりはない。ただ、泣いてるつぐみ見てたら自然に手が動いただけだし、おまえが他の男を想って泣いてるんだって思ったら気に入らなかったから、こっち向かせたくてキスしただけ」
私が、〝涙見ただけで優しくしてたら騙される〟みたいなことを言ったから、その答えを今さら口にしているみたいだった。
でも、まだキスの驚きから抜け出せずにいる頭には伊月の言葉なんて届かなくて、かろうじで耳に残った〝つぐみ〟って言葉に「名前、呼び捨て……」と呟くように言っていると。
「つぐみ」
微笑んだ伊月が、もう一度しっかりと、まるで私に聞かせるように名前を呼んだ。
そして――。
「泣き止んで、俺のほう見てろ」
頬に残っていた涙を、伊月の親指がすっと拭う。
そのまま再び重なった唇に、私はやっぱり驚くことしかできなかった。